初めての所へ旅立とうと思ったら、誰でも、一応、ガイドブックか何かでその土地の様子を知ろうとするのではないでしょうか。私も、年齢的に、そろそろあの世とやらへ旅立つ時が迫ってきたように思います。あの世とは、どんなところなのでしょうか。

世評によると、あの世は絶対に無いと言う人と、有ると言う人がありますが、どちらも確証はないようです。しかし、そんな曖昧なことでは、行く私としても心許ないので、私なりに研究してみようと思いました。しかし、これまでも多くの賢人、識者、高僧がテーマとしてきた問題を、私如きがなぞるには余りにも畏れ多いので、まず、今回は、そうした本論に入る前に、七、八年前、私の身辺に起きた不思議なことを書こうと思います。

ある朝、私も所属している「水墨教室」の仲間のNさんのご主人から、私に電話がありました。「今、病院にいますが、昨日の朝、突然、女房が、眼が見えないと言い出しました。そこで、今、大船の有名な眼の病院に連れて来ています。しかし、女房は、ご飯も喉を通らず、目の前の幕をめくるような手つきをしながら、ウチは子どももいないし、これからどうしようと、ただただ泣いてばかりで、私も困まり果てています。そこで、女房のお友達の方に、何とか、女房を説得していただきたいのです。

病院の先生によれば、<急に眼が見えなくなった原因はよく調べて診なくてはならないし、それによっては、手術も必要になるかもしれません。とにかく、検査に四、五日は掛かりますから体調を整えておいて下さい。> とのことです。突然のことで、私もどうしていいのか分かりません。詳しくは手紙を書きますので宜しくお願いします。」と、いうことで電話を切りました。

私としても、さてどうしたものかと考えているうちに、白隠禅師の「夜船閑話」に出ていた「永代十句観音経」のことを思い出しました。ご臨終です、と言われた人を家族全部で取り囲み十句観音経を唱和したら生き返ったとか、盲目の人の眼が開いたとか云うことが書いてあったのを思い出したのです。

そこで、二層紙に十句観音経四十二文字を墨で書き、カナを振り、慰めの言葉を添えて送ることにしました。そして、それには、このお経をご主人に読んでもらい、自分でも、一、二日のうちに暗唱して朝から晩まで唱え続けて下さい。泣いていてもどうしようもないことですから、全身全霊で一生懸命お祈りして下さい。手術の際もこのお経を小さく畳んで身につけていて下さい。と書いて送りました。

永代十句観音経は、とても深遠なお経で、例えば、その中の、「与佛有因、与佛有縁」という言葉一つの意味を説明するにしても四十冊程の本になると聞きました。

さて、Nさんは、もとより素直な人でしたので、その通りにしたようでした。そして、初めの電話から四、五日も経ったある日、Nさんのご主人から、「手術予定の日の朝、突然、目が見えるようになり、手術をしないで退院することになりました。」と、喜びの電話がありました。

そこで、水墨教室の仲間と連れだって回復祝いに出掛けることにしました。しかし、Nさんが自宅に戻られてからでは、訪れた私たちへの接待で気を遣わせることになるかと思い、退院間際の病院へお祝いに行くことにしました。

その病院で、同室の患者さんの五、六人や、Nさんの姉とか妹の分まで、「永代十句観音経」の「注文」を受けてきてしまい、後日、和紙に墨書きして送りました。また、Nさんの手術が中止になった時、担当の医師が「こんなことは初めてなので、病院の文献に残します。」とも言われたそうです。

白隠禅師は、とても偉いお坊さんとは知っていましたが、御経文が、こんな効能を見せて下さるとは、私も思ってもみませんでした。Nさんは、その後、ご主人を亡くされ、水墨教室もやめられましたが、今も鎌倉で健康な一人暮らしをされています。素直な心と真剣な祈りが奇跡を生んだのではないかと思い、修行を積まれた高僧と御経典の威力に、私も改めて感動しました。「感応道交」ということではないかと思っています。

一、「夜船閑話」と「遠羅手釜」(おらてがま)は、白隠禅師の在家人への假名法話集です。

二、 「夜船閑話」は、内観の秘法の具体的なやり方や病気の治療法が説いてあります。

三、 「遠羅手釜」は、白隠禅師が六十四歳の時にお書きになったもので、見性悟道の正念工夫に重点をおいて説いています。

白隠禅師は、「法華経を間断無く唱えよ。出入りの息すべてが法華経にならぬといかぬ、唱え唱えて怠らなければ、ついに一心不乱の境地になり、その時さらに唱えれば、平生の意識や感情のすべてが無くなり真理が現れて、法華経の真面目を見ることが出来、寿量品で説かれる久遠実成の如来が眼前するのだ。」と説いています。

おわり