御垂示 生死は佛家の調度なり 余語 翠巌

この春、桜の頃より微恙(びよう)を得て、三ヶ月ほど静養を命ぜられて、久しぶりに放下の時が授けられて有難い時を過ごし得た.幸というのか不幸というのか、今まで病に臥したことが無かった自分として珍しいというほどの三ヶ月であった。師匠が「昼寝も仕事じゃ」と人に応接した言葉の韻が耳に残っていたものの、世に明治大正生まれの部類に属するものは、遊びを罪と考える「くせ」があると云う習癖の外にあるわけでなく、萬事を放下した時を過ごし得たことは珍しい思いであった。

臥床専一というほどのこともない。時に山野を歩み、時に畑作務に時を過ごしつつ、何となく退屈なのである。曾って二十年に近い晴耕雨読の時を過して、まことにそれに徹し得る奴はえらい奴だと思うことがあるのとよく似ている。

お互いに喜怒哀楽のこの世を過しつつ、そのわずらわしい、嫌な、苦しい、又時に楽しく嬉しい日々を超えて、所謂平安な世界を望むことも時にはあることであるが、その平安と思われる世界は退屈な世界のようである。喜怒哀楽のない世界は耐え難い世界である。この世に生きていろいろのことがあって退屈しないのである。いろいろあるからよいのである。そして思うことは「生死は佛家の調度なり」と云う古いお示しである。

今、秋暑の交、残暑の中に新涼の気配を感じさせて頂く。喜怒哀楽の世界を袋小路のようにせずに、佛家の調度として感得することである。御信心の涼風を感得することである。病むことも佛家の調度である。

昭和五十六年 大雄、錦繍号より