(昭和六十二年九月十一日―十六日 紀行文抜粋)

十三日(火) プロペラ機(蘭州より敦煌へ)

大きなトランクは重量オーバーで積めないとのこと。蘭州止まりである。玩具の様なプロペラ機で頼りない。老師様一行三十人のみの貸切り。プロペラが廻りだす。なかなか飛び立たない。….と、出発直前パーッとお日様がさす。幸先良しと皆思う。蘭州着陸三十分位前見えたうねうねとのたくって流れる黄河はもうない。敦煌に近く近ずいた時割合大きな都市が見えた。酒泉?嘉谷関?約三時間半にて敦煌と朱色で書かれた小さな空港にゆるりと降り立つ。真青な空、暑い日差し、でも汗は出ない。とうとう敦煌に着いた。プラタナスの並木の間に咲くコスモスが美しい。

ラクダに乗って

敦煌の街の南に位置する鳴砂山に到着。ラクダに乗って麓に。ラクダは腰をかがめてお乗りなさい!とばかりに優しく態勢を作ってくれる。鈴のかすかな音がいい。ラクダからおりて、六名ばかりで鳴砂山に登る。頂上より真下に三ヶ月型に月牙泉が絵の様に。下りはサクサクと急降下。富士の須走りを思い出す。仙人の如き気分で又ラクダにゆられてもどる。フィルムのケースに砂を入れて。

夢に見た莫高窟へ

十四日朝食後に5km先の莫高窟へ、砂漠の一本道をひたすら車は走る。いよいよである。莫高窟は敦煌城の東南二五kmに位置し洞窟は鳴砂山の東山麓を西から東への断崖にうがたれ三危山と向かい合っている。今をさかのぼるその昔南北朝奏奏建之二年(西暦三六六年)うがたれたと碑文に記載されている。楽傳という僧侶が東から西へと旅を続け、やがて夕暮れになる頃敦煌の三危山の麓に到着した。突然彼は三危山に千仏の如き金剛の輝きを目にした。彼は「霊魂の景勝地」だと信じ、向かいの岸壁に始めての洞窟をうがった。

(これより次号に続く)