八月一日奄美大島へ行ってきた。国語研究会の研修に参加させてもらっての旅行である。奄美では、作家島尾敏雄や、画家田中一村などが有名で、西郷隆盛の寓居などもある。けれど今回の旅で、私は奄美出身のロシア文学者昇曙夢の名を初めて知った。彼は芥川龍之介や、明治・大正の作家に多くの影響を与え、その面倒もよく見たとの事である。晩年は、奄美大島復帰対策全国委員長として尽力し、『奄美復帰の父』と、島民から慕われた。今は埋もれたその功績も、世に出そうと努力している人々が居られるので、いずれ有るべき場に落ち着く事と想われる。

昇曙夢の生まれ故郷は、大島の加計呂麻島の西端にある芝である。船で訪れた芝は、人口二百人の小さな集落で、全国的に募った資金で制作されたブロンズ製の昇曙夢の胸像が、地元の好意で贈られた四百平方メートルの敷地に建っている。ちょっとした公園の様だ。島に着くと、歓迎の冷たい麦茶のポットが何本も机の上に用意され、甘い黒糖やゴマザタ(ゴマと黒砂糖の板状のお菓子)もあった。村民の八割が六十才以上である。村長さんの御挨拶や、昇曙夢の生家を訪れて、また船で帰る事となった。

船着き場では、老女が小太鼓を片手にポンポンとリズムをとり、その音に合わせて、島の女の人達が円く輪になって、歌いながら踊って下さった。あれは別れの踊りなのか、とても和やかな動きで、落ち着いた気分にさせてくれる。船に乗り込むと、島の人達は、なつかしい白い割烹着姿で、船着き場に横に一列に並んで、白い手拭いやハンカチを振って見送って下さった。都会に暮らして忘れていた別れの情景であった。船は真横になって片側の人達の別れがすむと、今度は反対側の横を正面にもう片方の人達とも別れを惜しみ、次は船を直角にしてまっすぐ速いスピードで港を離れた。私達も手拭いを力一杯振ったけれど、真っ直ぐ進む船からは、もう横一列で見送って下さる人達を見る事は出来なかった。

そう、忘れていたけれど、この胸がキュッとなる別れは、とても有難く、人々の気持ちが、よく伝わってくる。 島のみなさまの健康と、昇曙夢先生の知名度が再浮上することを祈って、静かな感激にひたっていた。