釈尊は八十歳で伝道の途上で病のために亡くなるのですが、常に釈尊のお世話をしていた弟子のアーナンダが「師が亡くなられたら、私はこれから何を頼りに生きたらいいのでしょうか」と教え乞うた。その時に釈尊がお示しになった言葉が自灯明、法灯明です。即ち「自らを灯明とし、自らを依りどころとせよ。法(おしえ)を灯明とし、法を依りどころとせよ。他のすべてを依りどころとしてはならない。」これが釈尊臨終の時の最後の説法です。

我々は「坐る」ことによってこの灯明を自分の身心で感得するのです。儒者、佐藤一斎は「一灯を提げて暗夜を行く。暗夜憂うることなかれ。ただ一灯を頼め。」といいます。この灯明は不滅です。無碍光ともいいます。

坐ることによって我が内に灯明が実感できれば、外から我々を照らす灯明のあることも実感できます。道元禅師は説きます。「只管打坐」こそすべて。大安心への道であり、安楽の法門であると。

平成十五年一月