馬に四種類ある。第一は振り上げた鞭の影だけを見て走り出す馬、駿馬と呼ばれる。第二は毛の先にふれてから走り出す馬、第三は肉にふれてから走り出す馬、第四は骨身に徹しないと走り出さない馬、駑馬といわれる。つまり、自分に迎えが来ないと目が覚めない類である。これでは間に合わないのだ。道元禅師はお釈迦様のこの教えを引用された後に言う「師いそぎ説かんと思うべし、弟子いそぎ聞かんとねごうべし」と。

目にみえない時の流れに時間という区切りをつけ、一日が終わった、一年が終わった、一生がおわったと、静かに過ぎ行く時間の歩みと時間にあずけられて生きる生命の歩み。生と死のはざまで人は様々の事を考え、行動するも、お釈迦様は「人生において一番大切なところは何か」という問いにこの「四馬のたとえ」を話された。

又、「今この一生のうちに仏道を学び、修行しなければ、いつの世に生まれかわって仏道修行に励むというのか。自分の体のことも、命のこともかんがえず、菩提心を起こして修行することが一番大切なことである」と道元禅師もいわれる。

とかく人は今を生きることで忙しい動物である。しかし、死を忘れたら、生も又ぼけてくる。死を見据える目が深い程、今という時間、今日一日という時間の大事さが自覚されよう。二度と帰ることの出来ない人生の片道切符をひたすら歩いているということを、片時も忘れてはならないと思う。さすれば、今日一日いただいたこの命の重さも分かる。命の重さが分かれば、今何をなすべきかが見えてくるはずである。

合掌