寄稿文集 平井満夫

寄稿文集 平井満夫
仏誕生 お釈迦さまは仏教を説かれた、キリストはキリスト教を説かれた 平井 満夫

  大雄山最乗寺の本堂に参拝しようと正面の階段を上がって行くと、本堂の左右の柱に掛けられた縦長の大きな木札が目に入る。 元山主独住第十八世余語翠巌老師が大書された「仏誕生」と題する大智禅師の偈頌(げじゅ)である。老師が亡 […]

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なんとはなしにお山へ|日曜参禅会から発した全国区の講|翠風講は昭和58年に結成されました。

前講元平井満夫さんが2009年大雄山の雑誌「大雄」に投稿した記事です。 なんとはなしにお山ヘ 日曜参禅会から発した全国区の講 今回は, 前号「道了尊と私」でご紹介した平井満夫氏が講元を務める翠風講である。講の総会にお邪魔 […]

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悟るとは一体どういうことであろうか。迷うとはどういうことであろうか|迷中又迷

寄稿文「迷中又迷」 平井 満夫 東京世田谷区上野毛の五島美術館に愛染明王の像が展示されている。平安末期の仏師運慶の作で、眼を大きく見開き髪の毛を逆立てた憤怒の形相をした迫力のある像である。その解説によると愛染明王とは愛欲 […]

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仏教は釈迦の教えに始まる、今考えよう仏教とは|仏教は生き残れるか(続編)平井満夫

仏教は生き残れるか(続) 仏教は、古代インドに於いて釈迦の教えに基づいて始まった宗教である。インドの歴史の中でアショカ王の時代(BC264-227)など仏教が隆盛を極めた時期はあったが、現代ではヒンドゥ―教が支配的で仏教 […]

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仏教は釈迦の教えに始まる、今考えよう仏教とは|仏教は生き残れるか(前編)平井満夫

寄稿文 仏教は生き残れるか 平井満夫 この記事によると、ダライ・ラマは科学的に整合性のない仏教の教えは排除する、また、チベットからの亡命地、インドのダーラムサラの僧院における教育カリキュラムでは、彼は科学を重要な科目とし […]

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天地いっぱいのいのちを生きる 平井満夫|翠風講ニュースレター第42号

天地いっぱいのいのちを生きる 平井満夫 昨年の夏は殊の外暑かった。それにコロナ禍で外出自粛。そんな中で私は出来るだけ自宅の近くを散歩することで気分転換をはかった。自宅のある横浜の西の郊外は起伏の多い所である。谷あり丘あり […]

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ガンダーラの釈迦像に魅せられて 平井満夫|翠風講ニュースレター第17号

ガンダーラの釈迦像に見せられて 平井満夫 お釈迦様は本当のところどんなお姿をしておられたのであろうか。仏壇の奥に鎮座まします菩薩の様なお姿ではなくて、もっと人間的なお姿を見てみたい。そんな願望を持つのはあながち私のみでは […]

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安心のおもむき 平井満夫|翠風講ニュースレター第20号 平成22年(2010)1月発行

安心のおもむき 平井満夫 我々仏教徒が求める究極の安心(あんじん)とはどの様なものであろうか。余語翠巌老師の御著書の中にこんなくだりがある。 『辯道ということは、何かを、何かにつぎ足して行くことではない。一切を放下する風 […]

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