なんとはなしにお山へ|日曜参禅会から発した全国区の講|翠風講は昭和58年に結成されました。

前講元平井満夫さんが2009年大雄山の雑誌「大雄」に投稿した記事です。

なんとはなしにお山ヘ 日曜参禅会から発した全国区の講

今回は, 前号「道了尊と私」でご紹介した平井満夫氏が講元を務める翠風講である。講の総会にお邪魔し趣旨を説明すると快く承諾して頂き、何と講元自ら文章にまとめて下さった。手馴れていらつしゃる。全文載せたかったが紙面の都合もあり拙僧が校正させて頂いた。

翠風講の結成大会は昭和五十八年九月十日にお山で行われました。大本山総持寺の日曜参禅会の副会長・藤田彦三郎氏が発起人兼初代講元となられ創立されたものです。講名は当時の山主様・余語翠巌老師の翠の字を頂いて翠風講と命名されました。大会では山主様から「始めるは易し。続けるは難し。よく相続されるように」とお言葉を頂きました。藤田氏によつて作成された講の目的は「大雄山最乗寺御開祖了庵慧明禅師並びに道了大薩埵の御精神を、山主御老師様始め一山の僧侶各位の御導きに依り、永遠に御威徳を顕現することを目的とする」とあります。結成当初の講員数は大本山総持寺の日曜参禅会のメンバーを中心に七十名近くおりましたが、藤田氏も故人となられ、その後変遷を経て、今では三十名足らずとなり、平均年齢も六十五歳を超え高齢化が進んでおります。その講員達も地域や職業のつながりは全くありません。それが翠風講の特徴かもしれません。地域的には地元を含め、遠くは秋田、福島、大阪など、職業的にもサラリーマンや自営業、警察官や税理士などばらばらです。もつとも、多くは既にリタイアしていますので「元」の字がつきますが・・・。

講としての行事を春から順に列挙しますと、先ず三月後半の日曜日に新春総参拝をしております。午前十時にお山に集合、御真殿で御祈祷の後、信徒会館で石附山主老師から御法話を頂き、昼食後、講の総会をしてお開きというのが通例です。総会では一同車座に座って話をします。これを我々は蓮如上人のお言葉を拝借して「話し合い法座」と称しています。近況なり、人生観なり、仏道信仰への思いなどを話し合います。六月初旬には旅行会をしております。行先は群馬県の雙林寺や、三重県の瑞光寺、更には京都、奈良など様々ですが、なるべくテーマを決めて行っております。例えば京都では、道元禅師ゆかりの地を訪ねて建仁寺、宇治の興聖寺、高台寺裏の禅師茶毘の跡、高辻西洞院の禅師示寂の地などを巡礼しました。旅先の旅館では夕食の後、カラオケなどはせず、話し合い法座を開いておりますが、これも翠風講独特の楽しみの一つです。十二月の第一日曜日には、お山で行われている蝋八摂心の行茶供養に参ります。かれこれ二十五年続いております。おごそかな雰囲気の中で、お世話になった一年の感謝の念をお伝えしているつもりです。昭和六十年頃ですが、僧堂で使われる座布団を寄贈しました。
この他の活動としては、講内誌「ニユースレター」を年二回発行しています。お山への信仰を通じて講員の間の心と心の絆を深めようと始めたもので、講員からの投稿を載せています。結構皆様に愛読され、版を重ねて今年で十九号になりました。

ある時、余語老師が、「こうやって皆さんがなんとはなしに集まるのを、等閑に集うという。このことが尊いですね」とおっしゃった。等閑とは禅の世界では「なんとはなしに」という意味で、深い意味合いがあるそうだ。 一言で言うと翠風講はそういう集まりZと言えるでしょうか。来る者は拒まず、去る者は追わずといった風で「なんとは.なしに」続いております。この稿がきっかけとなって翠風講に来て下さる方が出てくれば幸いです。

(秋澤 祐一) 雑誌「大雄」2009年錦繍号「お山とともに」より

写真は令和5年度の新春総参拝の記念写真です。

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