仏誕生 お釈迦さまは仏教を説かれた、キリストはキリスト教を説かれた 平井 満夫

  大雄山最乗寺の本堂に参拝しようと正面の階段を上がって行くと、本堂の左右の柱に掛けられた縦長の大きな木札が目に入る。

大雄山最乗寺本堂

元山主独住第十八世余語翠巌老師が大書された「仏誕生」と題する大智禅師の偈頌(げじゅ)である。老師が亡くなられてから四半世紀余り。今では柱の一部の様になり、賽銭箱の前でお参りしても、この木札に気付く人は殆どいないようだ。



  偈頌曰く

  閻 浮 八 萬 四 千 城  不 動 干 戈 致 太 平
  活 捉 瞿 曇 白 拈 賊  雲 門 一 棒 不 虚 行

   これは次のように音読する。

   閻浮(えんぶ)八萬四千城
   干戈(かんか)を動ぜず太平を致す
   瞿曇(くどん)の白拈賊(びゃくねんぞく)を活捉(かっそく)して
   雲門一棒虚(みだりに)行ぜす。

  偈頌というのは、七言絶句などの形で仏を褒めたたえる漢詩のことである。大智禅師は十三世紀末から十四世紀はじめの頃の人で、出身は熊本だそうである。大変才能に恵まれた人で生涯に多くの偈頌を残しておられる。偈頌は短い詩であるから受け取り方は様々であって、そこに面白味もあるのだが、それにしても余語老師が選りに選ってこの偈頌を大書して本堂の最も目立つ場所に掲げられたのは、どの様な意図がお有りだったのだろうか。参拝してこれを目にする人々に何を老師は伝えたかったのだろうか。そのことについて考えてみたい。今頃になってこんなことを詮索するような人間は、この世にもうあまりいないかもしれない。

  先ずは余語老師の解説を紐解いてみよう。
御著書(余語翠巌著「道はじめより成ず」大智禅師偈頌講話 地涌社刊1989)から私なりに要所を抜き書きすると次のようになる。

「閻浮というのは、人間の住むところのことです。その人間の住む世界には、八万四千というほどの煩悩があるんだという意味を、城という字に喩えたわけです。八万四千もの攻め滅ぼすべき城があるのだというのが第一句です。干戈は矛と盾ですから、武器です。城というのは煩悩ということでしたから、修行せずして煩悩をなくすということです。

  第三旬目、瞿曇というのはゴータマという字の音訳ですから、お釈迦さまの名前です。白拈賊というのは昼盗人、空巣ねらいということです。この旬の意味は釈尊という昼盗人を生け捕りにしておこうやということです。

  第四句目、雲門の一棒というのは、雲門という昔中国で雲門宗を開いた和尚の話です。この雲門という和尚が、釈尊の生まれた時のことを次のように言うわけです。釈尊は生まれてすぐに七歩歩いて、それから「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられています。そのことについてこの雲門和尚が、「もしわしがその時にそばにおったなら、 一棒のもとに叩き殺して犬に食わせてやった」と言ったのです。どういうことなんでしょう。「仏誕生」ですから、普通はお釈迦さまの誕生を褒めたたえるわけですが、ずいぶん荒っぽいひどいことを言ったものです。それでこの大智さんは、雲門さんは一棒のもとに叩き殺して犬に食わそうと言ったが、そういう荒っぽいことをせずに、お釈迦さまという昼盗人を生け捕りにして吟味をしたらどうじゃなと、こう言うのです。

  この頌の意味はそういうことですが、これはお釈迦さま一人の問題ではないのです。仏誕生ということに託して大智禅師は何を言おうとしているのでしょう。いろいろのことが考えられるわけですが、お釈迦さまは仏教を説かれたキリストはキリスト教を説かれたモハメでドはイスラム教を説かれたというように、いろいろな教えが説かれてきたわけです。ところがいろんな教えができてきた後はどんなことになっているか。もっと範囲を広げて考えてみると、人間の文化というのはどういうものなのか、文明とはどういうものなのか。それをお釈迦さまに託して言ったと考えてみるとよくわかります。具合悪いからといって叩きつぶしても仕方がない、そんな荒っぽいことをせずに生け捕りにしてよく吟味をしたらどうじやと、大智さんはそう言っているのです。

  よくよく考えてごらんなさい。今お互いに文化を共有しているわけだけれども、昔からいろいろな姿で伝えられてきた文化、伝統というものはなぜこういう方向に進んできたかということについても、出発点がよいのか悪いのかということさえもわかりません。ただ積木を積んでいるようなもので、今の人は、その一番上に乗せなければならんわけです。わずかな先端に上手に乗せなければ、折角積んできたものが全部崩れてしまいます。これまで積んできた方向というものは、人間のある可能性をずうーつと伸ばしてきたものなのです。たくさんの可能性のこの先、どこへ行くのかわからん。行先が決まっていないと進歩とはいえないわけで、そういう意味から言ったらこれは進歩ではなく、単なる変化といえるかもしれません。『普勧坐禅儀』という本の中には「返照の退歩を学せ」と、退歩をよく学べと書いてあります。この仏誕生の詩を読んでそういうところまで考えるべきかどうかわからないけれども、私はそう考えます」


なるほどということではあるが、どうも分ったような気もするし、分らないような気もする。私が一番分らなかったのは、「瞿曇の白拈賊」という言葉である。お釈迦さまが昼盗人とはどういう意味なのか。お釈迦さまが盗みをしているとか、或いは嘘をついているという意味かなどと考えさせられた。老師は「お釈迦さまに託して言った文化や文明」と非常に広い視野で捉えておられるが、ここは「お釈迦さまの名を騙(かた)った嘘」と解するとよく分かるのではないか、と私は考える。

お釈迦さまが何を言われたか、本当のところはこの世の誰にも分からない。そこで「お釈迦さまはこう言われた」とか「お釈迦さまはこうなさった」などと見てきたような話しや言い伝えが沢山出て来た。百人寄れば百様の如是我聞である。中には宇宙の真理、天地の道理を伝えているものもあるし、そうでないものもある。川柳の「講談師見てきたような嘘をつき」ではないが、お釈迦さまが言ったといえば信用して貰えるだろうといった類いのものもある。嘘というと響きが悪いが、虚構といえばもっともらしいかもしれない。仏教には虚構が入り交じっている。と言うより虚構の集大成と言った方がより正確かもしれない。仏教だけではない。およそ宗教はそういうものではないだろうか。とすると、老師の解釈もニュアンスが少し変わってくる。それを私なりに大胆に想像してみた。

  「求道の姿というのは非常に立派に見えるが、本当は何もせん方がよけい立派じゃ。探しまわったって現にそこにある姿がそのものなんだから、他に探しに行ってもそんなものはみつかりません。余ることなく欠けることなき姿がここにあるのです。修行せずして煩悩をなくすとはそういうことです。これが大智禅師偈頌の前半です。

大雄山最乗寺境内

  仮にお釈迦さまは反対のこと、例えば『煩悩を断じて涅槃を得る』と言われたという話しがあれば、それはお釈迦さまの名を騙った嘘である。しかしだからといってその嘘話しを雲門和尚のように全く捨て去るようなことはしないで、よく吟味しようではないかというのが後半で、嘘物語の中にも信じるに足る真理があれば信じればよいというのが言外の意味でしよう。仏弟子としての道が示されています」

とまあ、こういうことではなかろうかと思う。この想像が当たっているかどうかは分からない。地下の老師は何と言われるか。「それも一つの解釈だ」くらいのコメントが頂ければ上々かなと思う。余談だが、この稿を書いているうちにふと思った。解釈という言葉の語源だが、解釈の釈は釈迦の釈ではないかと。
(令和五年八月)

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