思えば、十八歳で故郷秋田を出て東京に行き、今六十一歳になって故郷に帰ってきた。夢を抱いて故郷を後にした事がつい昨日のように思い出される。自分は四十三年間何をやってきたのであろうか、と自問する時、各年代の諸々のことが走馬灯の如く思い出される。走り続けている間はあまり考えなかったことを、考えるようになったのである。ああ現役をリタイヤしたのだなあという実感が涌いてくる。これから好きなことがやれると思うが故にである。

若かった時には仏教とは無縁だった。一つ思い出がある。本屋でたまたま「大法輪」という雑誌が目につき開いてみたが、全く理解できなかったことを今でも鮮明に覚えている。仏教、禅に巡り会えたのは三十五歳位の時である。剣(居合道)の道に生きてみようと思ってからである。この道に入っていなかったら、多分仏教、禅とは無縁だったと思う。修証儀の一節ではないが、遇い難き仏法に値い奉れたことを非常に喜んでいる。廻り道をしたが遇うべくして遇ったという心境である。人間は縁によって変わっていく。仏縁を感謝している。そして、帰郷するに当って、仏教を、禅を持ち帰れたことが、なによりの宝であると確信している。

これからの人生を「坐禅」でもって、般若心経と正法眼蔵を明らむべく精進したい。経済的には苦しくても、いっさい仕事はしない。道元禅師は言う「学道の人は先ずすべからく貧なるべし」と。これを地でいくこととなるやもしれない?

帰郷して二ヶ月強、荷物の整理もやっと終え、少しづつ田舎暮らしの生活のリズムを作りつつある。故郷に帰ってから、昔の友達にも会っていない。忘年会も勿論なし。私の望んでいる生活である。付き合いは学道の障りになるだけ。かような事を書くと、自分から人を遠ざけて孤独と静寂を求める心に執着する者は、まだ心が動揺している証だ、かような状態でどうして自分と他者を差別しない自他不二の境地、動静に執われない両忘の心境には程遠くなるのではないかと危惧されるかもしれない。しかし、私も偏屈者は嫌いなので、頭は常に柔軟さを保ち、物事を対立させて考える相対的発想を止揚させ、執われない、かたよらない、こだわらない生き方を目指すつもりである。

(平成十八年十二月二十五日 記)