(昭和六十二年九月十一日―十六日 紀行文抜粋)

この時から始まり、なんと十六国を経歴し北魏、西魏、北周、隋、唐五代、宗、西夏、元等十五朝を経て前後一千年余りに亘りおびただしい洞窟が出来上がり壁画や彩塑を営造したという。唐代に入ると一千個余りの洞窟と仏壇が出来上がったが、悠久の月日を経て自然の風化や人為的破壊を受け、現存する洞窟は四百九十二個、壁画四万五千平方米保存のみとなったという。

なお西暦千九百年清朝時代に王園篆が、偶然にもナンバー十七窟蔵経洞を発見したことにより、この世界でもまれな社会文書、刺繍シルクの絵画等の宝物が発見され、今日美術界では経典文書を敦煌遺書と呼び、十六国から西夏までの一千年に亘る政治、経済、軍事、宗教、文学、藝術、医学、印刷等々、社会科学と自然科学の全ての内容を含み新しい総合的学問(敦煌学)を形成したということである。

興奮して場を去り難きの感あり。昼食後再び莫高窟と陽関方面との二手に分かれた。私は莫高窟を選ぶ。一部屋一部屋丁寧に見学、唯驚くばかり、四五号室のお釈迦様の塑像、その両脇に阿難迦葉の両さん、又その両脇に金剛力士が…。この四五号室は特別五十元である。

次に素晴らしいと思ったのはお釈迦様涅槃の像(唐時代)、全身十五米その上の弟子達七十人の像は清の時代にはられたそうである。次の驚きは全長二十六米のお釈迦様の像、真中より見上げ見下ろす。唯唯その大きさと形の良さに感激、周りを三回廻って旅の安全を祈願する。 最後に全長三十三米の弥勒菩薩様の像は下から見上げる様な格好で…。 この二つの仏様は、岩そのものを掘りその上から色をぬり仕上げたものだそうである。

感激さめやらず帰途興奮の渦の中に…。

(この続きは次号で完結します。どうぞお楽しみに。)