若き日の道元を悩ませた疑問は『一切の衆生は皆法性をもち、天然自性身をもつという。それなのに何故に三世の諸仏は信行の志を起こして菩提を求める必要があったのか』ということであった。

私はこれを考える時、老荘の無為自然を取り入れると分かりやすいと思う。若き道元は仏の悟りを無為自然の立場でしか考えていなかった。最終的に到達した境地だけを見れば完全な無為自然であるが、これに至る過程である有為自然が欠けていたのである。天童山で如浄禅師と相見しこれを悟った。正法眼蔵現成公案を読むと『自己をはこびて万法を修証するを迷いとす。万法すすみて自己を修証するは悟りなり。・・・仏道をならうというは自己をならうなり。自己をならうというは自己をわするるなり。自己をわするるというは万法に証せらるるなり』と述べられている。即ち人為の主体である自己の力によって万法を明らかにしようとするのは迷いであり、万法の方から自己が照らし出されるのが悟りである。作為の主体である自己を忘れ万法の光に照らされるという受け身の境地になった時はじめて悟りがあらわれる。これは完全な主体性の放棄であり無為自然の境地である。

禅宗を自力道だというのはその仏道を習う為の只管打坐の地点をとらえてのことであり、只管打坐の結果得られる境地は他力道(老子、荘子、親鸞)と区別のないものとなる。更に道元は自力を捨てた時、即ち『ただわが身をも心をもはなちわすれて仏の家になげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからもいれず、心もつひやさずして、生死をはなれ仏となる』(現成公案生死)と言い救いは向こうから迎えに来るという。道元がこの境地に達するまでには血のにじむ精進、努力があったと思う。この意味で有為自然。この有為自然を経て無為自然にたどりついた。

一方、他力道といわれる浄土真宗親鸞の中心思想である『自然法璽』について少し述べる。親鸞の『自然法璽』の用語は直接にはその師法然の『法璽道理』から導かれたものと思われる。(法然「語燈録」より)親鸞は『末燈抄』で『自然法璽』を定義している。即ち『自然というのは、自はおのずからといふ、行者のはからひにあらず、しからしむといふ言葉なり。然といふは、しからしむといふことば、行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆえに。法璽といふは、この如来の御ちかひなるがゆえに、しからしむるを法璽といふ。・・・すべてはじめてはからはざるなり。このゆえに他力には義なきを義とすとしるべしとなり。自然といふはもとよりしからしむといふことばなり。弥陀の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへむとはからせたまひたるによりて、行者のよからむとも、あしからむともおもはぬを、自然とはまうすぞとききて候』と。

つまり、『自然法璽』とは、自分の力で仏になろうとしたり、善行を積んで仏に救われようとしたりする人為(はからい)を捨て、ひたすら仏の願力に身を委

ねることである。救いの力を仏という他者に求めるのであるから他力と呼ぶにふさわしい。歎異抄に『わがはからはざるを自然ともうすなり。これすなわち他力にまします』とある。

『自然法璽』の考え方は、そのまま老、荘の無為自然に通ずる。浄土真宗の人々は真宗の生命は信仰、信心、にあると強調する。さすれば弥陀の名号をひたすらに唱えるその行為は有意自然となり、禅における只管他打坐と何ら変わらないこととなる。浄土真宗もまた、無為自然の境地に達するには有意自然を経なければならない。この意味において、私は禅を自力道、真宗を他力道とする見方は表面的に過ぎると思う。

老子、荘子に出てくる「自然」にもいろいろな自然がある。無因自然、無為自然、虚無自然、無差別自然、運命自然、理教自然、本性自然、有意自然。「自然」とは何か、興味のある人は、老子、荘子を読まれるとよい。