ウエルズの世界史概説の古代インドの記述を読むと、釈尊の教えは没後は無論のこと在世中でも様々に誤り伝えられたとある。なにしろ殆ど文字がなく、全てが口コミで伝えられた時代である。さもありなんと思われる。

実は私はその辺りのことを余語翠巌老師がどう見ておられるかお尋ねしたことがある。まだ初代講元の藤田彦三郎氏がお元気だった頃で、ある年の暮れに連れ立って老師のお供をして熱海の旅館に一泊した時のことである。風呂上りに冷たいビールを飲みながらくつろいでいた時、私は思い切って老師に「お釈迦様のことも本当のところはよく分からないのではないのでしょうか?」という様な問いかけをしてみた。

老師は次の様におっしゃった。「お釈迦様がなんと言われたか、記録の無い時代だから本当のことは誰にも分からん。お釈迦様がこう言われたといえば誰も反対せんじゃろうと後世の人が作った言葉が一杯ある。どれがごまかしで、どれがごまかしでないか、自分で見分けるしかない。しかし、たとえお釈迦様の話が全部嘘だったとしてもそこに真実があると自分が納得すれば、それを信じればよいのだ。」と。このお言葉と、縁側の椅子にゆったりと座ってお話になった老師のお姿と、眼下に広がる伊豆の海の景色とが一体となって私の脳裏に焼付いている。

このお言葉とどこかあい似た感動的な一節と私が思うのは、歎異抄の第一章のくだりである。信仰に迷いを生じ、親鸞聖人の本当の教えをもう一度御本人から確かめようと、常陸の国からはるばる京都までやって来た門弟達に対して聖人は、「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべしと、よき人(法然聖人)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の仔細はなきなり。・・・たとえ法然聖人にすかされまいらせて(だまされて)、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候う。」と述べておられる。本当の信心というもの、その神髄をここに見る思いがする。