世間の親の多くは、一人前になった自分の倅や娘が、親の言うことを聞かずに逆らってばかりいる、と言っていることが多いようにみえるけれど、本当にそうだろうか。

端から客観的に見ていると、親にしっかり薫育されているように思えることが多い。感情的な親には、感情的な娘。頑固な親には、頑固な息子。見栄っ張りな親には、見栄っ張りな娘。欲張りな親には、欲張りな息子夫婦。薄情な親には、薄情な子ども。

どれもこれも如是、かくのごとし。一切の存在が向こうからその真相を見せて自己に気づかせて下さっているのだ。今、どんな境遇にいてもそれは佛性の転回の姿なんだから仕方がない。

親のようにはなりたくない、と精進して親を乗り越えようとする者も、それは、社会的、経済的な欲望上の理由であることが多く、歳を経ると、本性は親の複製になってしまっていることが多いように思える。生き様や理性で親以上にその精神性を高めている倅、娘の例の多くを私は知らない。

お前はどうなんだ、と問われれば、「目」は外向きにしか付いていないことから、それは、人の判断に任せる。  世間の人は、割合、的確に「評価」するものだと思うから。