先日NHKのテレビで、定年を迎えた男達が、生甲斐を求めて近所の集まりに参加して、いろいろな活動を始める様子を見た。ボランティャをやる人、趣味に生き様とする人など様々である。仕事に生甲斐を感じて生きてきた男が、定年で仕事がなくなると、ふぬけの様になってしまうものなのであろうかと考えさせられてしまう。

そうかと思うと、これもテレビで、アフリカのとある農村で、内戦で両親を失い天涯孤独になってしまった六つか七つ位の少女の生活を見た。灼熱の太陽の下、テント小屋の様な粗末な家でただ一人。自分で食事を作り、村はずれの井戸まで水を石油の空き缶に汲みに行き、頭に乗せて帰ってくる。文字通り運水搬柴のぎりぎりの生活である。救援の国連職員が「頑張ってね。」と声をかけても、眼はうつろで全く無表情。生甲斐などとはおよそ無縁に必死で生きて行く姿である。

「生甲斐のある人は結構。しかし、生甲斐が無ければ人生は無いかというと、そんなことは無い。生甲斐は無くとも人生は有る。もともと生甲斐の有る人生に生まれるつもりで生まれた訳では無いでしょう。おぎゃあと生まれて来て、気が付いたら生きていた訳でしょう。」余語老師のこんなお言葉を思い出した。

そういうお前はどうなんだと問われれば、正直のところ、生甲斐を感じる時もあり、そうでもない時もありで、求めてはいるのだが、日々「食うて、寝て、出して」、右往左往してうごめいているのみである。ただ、この天地に今日この様に生かされている自分という存在の摩訶不思議さに、感謝の念を忘れない様に心がけてはいる。これはひとえに大雄山に参禅させて頂いた御利益と信じている。