「円空仏」を眺めていると、心身の硬さがほぐれてきます。そして、更に何となく見続けていると『ほのぼの』とした気分になってきます。
二十代のころから仏像に親しんできた私にとって「円空仏」との出会いは全く新しい「仏像の世界」の出現でした。旧大宮市立博物館で「円空さん」が実際に彫られた「円空仏」を拝観した六年前のことでした。目を切れ長な横線で、口を三日月で表したり、木を割った断面をそのまま生かしたり、全体が簡素で荒削りな木彫りの「円空仏」。「円空仏」の目と口には『笑み』がただよい、見ている私もつられて 穏やかな表情になってきます。ふつう怖そうな表情の多い仁王像や不動明王像までも、「円空仏」では悩み多い私を温かく見守るような「笑み」を目と口元に感じます。

かって何度も何度も拝観してきた私の大好きな「奈良・薬師寺
・東院堂の聖観音菩薩像」。この菩薩像は頭部・手・衣・台座に至る 隅々までを厳格な造仏のルール『儀軌』に則って表現されています。さまざまな思いが込められたその表情は、感情を抑えていつ拝観しても常に『中立的』です。あらゆる思いを含み持った『中立的』なその表情に、私はいつも『静かで 理知的で生きる強い力』を重ねてきました。そして、『身を引き締めて合掌低頭』してきました。

どこの寺院でも、祀られているどの菩薩や如来像も『儀軌』に則って表現されていて、合掌低頭の対象として大切にされています。ところが、「円空仏」は江戸時代の初期、遊行僧「円空さん」が 造仏のルール「儀軌」にあえて執われずに大胆に省略して、木を荒削りに彫った像です。でも、なぜか『素朴な温かさ』を強く感じてしまうのです。『身を引き締めて合掌低頭』して尊ぶべき特別な存在ではありません。『ほのぼの』とさせてくれる 近しい存在なのです。

最近は「円空さん」が暮らし 「円空仏」を彫った地を家内と訪れるのを楽しみにしています。岐阜県の旧上之保村・旧洞戸村・旧美並村・旧国府町 等々では、「円空さん」が長らく暮らし「円空仏」を彫ったころの光景――川や谷や山や田畑――に今でもふれることが出来ます。

仏像にはほとんど縁のなかった当時の農民に「仏とは 本来温かいんだよ」ということを『笑み』をたたえた「円空仏」を彫って示し、『安心』を贈ったのでは、そう私はかってに推察しています。そして、平成の時代の今日、私が「円空仏」の『ほのぼのとした温かさ』を頂いているというわけです。

当時の農民と「円空さん」とのやり取りを「円空仏」が彫られた 地の中にいてアレコレ想像するのは心が和むものです。地元の人以外にはめったに人と出会わないので「円空仏」の世界に時を忘れてドップリ浸ることが出来ます。これからも「円空さん」が暮らした地を訪ねるつもりです。そして、荒削りな「円空仏」に会って、その『笑み』と『ほのぼの とした温かさ』を貰ってこようと楽しみにしています。
合 掌