寄稿文 日々断片(その43)小松勝治

▼『四万六千日会の記』
巡礼仲間のお誘いで多摩川三十四ヶ所観音霊場札所第三十三番札所、JR南武線分倍河原駅下車で行く府中市片町二・四・一の高安寺に行って来た。七月十日は四万六千日会( しまんろくせんにちえ) でこの日お詣りすると四万六千日お詣りしたと同じご利益があるとのこと、夕方六時から45分程の法要で蚊に喰われながら痒いお勤めでした。参詣者は還暦前後の男女半々で15名ほどでした。お布施のお返しに朝顔市で売ってるような大きな朝顔鉢をいただいて来ました。友人は昨年の朝顔は数えきれないほどたくさん咲いたそうです。頂いてきて一週間十輪程咲いた。聴くところによると浅草・浅草寺の四万六千日会は九日と十日の予定だったがコロナの影響でどちらかが中止になったとのことです。四万六千日の由来についてどなたか今度お会いした時に教えて下さい。
令和3年7月16日㈮ 梅雨明けの日にしるす。

▼『初代講元の記』
初代講元故藤田彦三郎氏(1912〜1987)( 大正元年九月二十九日〜昭和六十二年六月二十六日享年77歳) の命日は数字の回文とでも言いましょうか六二六二六つまり昭和六十二年六月二十六日なので覚えやすい日です。この日はもう一つ年中行事が有る。それは紫陽花のおまじないの日で花を一輪半紙で包み紅白の水引で結び魔除けとして玄関の扉の上の正月のしめ飾りを飾る辺りに魔除けとして飾る。と共にお手洗いの中の高いところに飾りトイレの神様ウスサマ明王と共に下の病よけ又は粗相をしないように願をかける日です。この頃の行事で言えば神社の智の輪くぐりが有る。七月以降心機一転。子供は夏休みをはさみ、大人は入梅・梅雨明・お盆をはさみ大雄山の夏期禅学会が無事円成し新涼の季節へといざなわれほっと一息ついたころに平井前講元の『翆風講ニュースレター』が届く、コロナ禍の時にあって何と幸せな日々であることか。もう一つ言えば初代講元さんの『翆風だより』・前講元さんの『翆風講ニュースレター』・現講元さんの『翆風講赤とんぼ』・『翆風講ホームページ』がタブレットをかばんにしのばせておくかスマホを携帯すればいつでもどこでもゆかりの講元さん編集の文書に出会えてありがたいことです。
令和3年7月19日㈪オリンピック開催5日前梅雨明け2日目の真夏日に。

▼『代参の記』
お伊勢参りや講の代参に習って三月、大雄山線バス終点の村上商店にお土産用の天狗せんべいの袋詰めを予約をして翆風講講員の御札を頂きにお参りしてきた。大雄山最乗寺はひっそりとしていてかって大勢で出かけたパワースポットを独り占め。本堂をお参りの方に大智禅師の仏誕生の七言絶句を余語老師の解説を口移しでお話しして感謝されて余語老師に頂いた釈迦牟尼仏弟子第九十一代の役割を果たす。村上商店の店番の店員さんは山主の提唱を聴いたこがとがないとのことなので今度講の集いがあるときにご招待することを約束して下山。お山のご縁に感謝の代参で有った。
令和3年7月22日㈭ オリンピック開会式1日前に。

▼『百不当の一当の記』
コロナ禍以前駒澤大学の聴講は二十年続いた。年に数回教授のお部屋に事前に面会の予約をしてご挨拶に伺ったことです。時には食堂で食事をしていた時に間もなく定年の教授に誘われてお部屋でコーヒーを頂いたこともある。話を『百不当の一当の記』に戻そう。二十年ほど前に角田先生に大蔵出版発行の『道元入門』の裏表紙に一筆揮毫をお願いした。墨痕鮮やかに『百不當当の一當』今の一當は昔の百不當の力なり㊞㊞と揮毫して下さいました。この言葉は会社の弓道部に入部して弓道を始めたころのことを思い出しました。
弓道の稽古は形から入ります。道場に行ってもすぐ的前に立たせて呉れるわけではない。とんでもないところに矢が飛んで行かないように矢所が定まるまでは巻き藁の前で巻き藁専用の矢で弓道八節と云う手順に従って昼休み弓道場に行き記憶が定かでないが三ケ月たつたころ先輩の許可があり的前に立ち矢を射るが中々当たらない。ある昼休みパンといういい音がして的に当たった。道場にいた全先輩が『よしゃ』と言って呉れた。涙が出る程うれしかったことを卒寿を過ぎた今でも昨日のことの様におもいだします。このことが余語老師がよくおっしゃった世の中に『無駄ごとはない』の一語に通じる言葉だと考え今茶道の稽古をしていて中々覚えられないこともいずれ『百不当の一当』になるかと考えコロナ禍のさなか暑中稽古と称して茶箱点の稽古に励んでいる令和三年の盛夏ではある。
令和3年8月3日㈬秋田竿灯まつりの日。オリンピック閉会式5日前に。

▼『星巡りの歌の記』
宮沢賢治作曲作詞の「星巡りの歌」を8月8日の東京五輪閉会式で女優の大竹しのぶ( 64) が子供たちと歌った。前回の時は三波春夫の歌やファンファーレなどがあり今でも記憶に残る。IOCのバッハ会長の長いスピーチの後になぜ「星巡りの歌」を入れたのかよくわからない。新宿の歌声喫茶「ともしび」ではよく歌われていた歌です。この店は昨年コロナ禍とビル再開発のために今休業中です。コロナが治まった頃に再開店すると聞いている。2020オリンピックと共にこの歌も歌いつがれるのだろうか。
令和3年8月15日㈰。終戦記念日。旧ぼん・月遅れぼん。オリンピック閉会式一週間後