寄稿文 安心の道 平井満夫

幸せを願う祈り。何が幸せかは人それぞれに異なるが、人間誰しも幸せを願うのは自然の姿である。その願いが叶えられるとは必ずしも限らない。たとえ願いが叶わなくても心が安らかであるにはどうすればよいか。

安心(あんじん)の境地を求めるのが仏教だろうと思われる。しかもそれは主観的な気休めではなく、客観的に納得できるものでないと宗教にはならない。人生百年時代などと云われるが、百年生きる人はそうそういない。若くして命を落とす人もいる。誰が先に逝くのか分ったものではない。思えばはかない人生ではある。

蓮如上人(1415―1499)の御文章に「一生すぎやすし、いまにいたりて、だれか百年の形態(ぎょうたい)をたもつべきや。我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、おくれ先立つ人は、もとのしづく、すえの露よりしげしといへり。されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。」とある。

NHKのテレビ番組「こころの時代」の中で、日本海に近い兵庫県の人里離れた山中にある曹洞宗安泰寺の九代目堂頭を勤めたドイツ人ネルケ老師はこう語っていた。「幸せになりたい、幸せになりたいと、そればかり思っていると却ってその思いにしばられて幸せになれない。晴れた日もあれば雨の日もあるように、幸せな日もあれば幸せでない日もあってよいではないかと思えば気が楽になります。やがては自分も死に、子も死に孫も死ぬ。分りきったことなんです」と。

お釈迦様は人間の生老病死の現実を見て、人生は苦しみであると観察された。そして、どうしたらこの苦しみから脱して心の安らかさを得られるのだろうかと思い悩まれた末に、妻子を残したまま王宮を出て敢えて修行の道に入られた。世間的には何不自由ない王子としての生活を捨ててである。そして心の苦しみの原因が、諸行無常(あらゆる存在は遷り変わる)という真理に気がつかず、この真理に反する願いに執着することにあると気付かれた。人間はいつまでも生き長らえることなどできず、最愛の人ともいつかは死別する。諸行無常の真理をわきまえない願望が煩悩である。煩悩から解放されることを解脱という。煩悩の火を消すとは、つまり欲を無くすということである。欲を無くすれば心の苦しみは無くなるだろうと、厳しい修行に励まれたが、どんなに厳しい修行をしても満足な結果は得られなかった。しかしながら、欲を制御することは出来るし、従って心の苦しみも克服することが出来るとお悟りになられた。

その解脱の心境の要諦は自然の中で共に生きることにあったと思われる。お悟りになられた時に発せられたとされるお言葉、我与大地有情同時成道(我ト大地有情ト同時二成道ス)がその事を示しているのであろう。道元禅師のお言葉で表現すれば「身心自然(じねんに)に脱落して本来の面目現前せん」である。解脱を得るには出家して正しい生活を送る修行をしなければならないとお釈迦様は説かれた。その修行法は、苦行と快楽の両極を排した中道に立つものだった。諸々の歴史書や仏典から参照して、仏教の始まりはざっとこんな風だったと私は理解している。

私は思う。アイザック・ニュートンが万有引力という物体の運動の法則を発見したように、お釈迦様は心の運動の法則を見出されたのだと。それは「人間の心を苦しめるのは欲である。欲が深ければ深い程苦しみも深くなる。欲を克服したところに心の安らぎがある」というものだった。お釈迦様の思想の成立の過程を見ると、観察、仮説、実証、再現性、普遍性など、現代科学の必須要素が全て備わっている。あの時代にこの様な科学的な思想が生まれたことは驚くべきことである。仏教は科学的な宗教であると私は思っている。

ダライラマ十四世は亡命先のインドの学校で「お釈迦様は科学者だ」と教えているそうであるが、その意味する所はおそらくこのような観点からだろうと私は解釈している。その思想の中には、「神」のような人工的な権威は何も無い。権威としてあるのは自然の摂理のみである。それは天地のいのちとか、天地の法とか、無限のものとか、なんとも表現し難いものである。この思想は、紀元前五世紀頃のインド社会で支配的であったバラモン教(後のヒンドゥー教)が規定するヴァルナ制度(階級社会)を否定するもので、言わば革新的な新興宗教であったのだ。

以下には、二十一世紀の現代に生きる者として、現実の社会に直面しながら日常の生活の中で安心の道を歩むには、どの様な考え方をすればよいのか、お釈迦様のお智慧を拝借して、そして余語翠巌老師のお教えを吟味しながら私なりに考えてみたい。

先程のネルケ老師の言を考えてみると、それは諸行無常の真理をわきまえたもので、仏法に叶っていると思う。たとえささやかなものにせよ幸せになりたいという願いも欲であることに違いは無い。その願いが強ければ強いほど願いが叶わなかった時の苦しみも深まるのだ。「何事も願わない祈りが最も純粋な祈りであり、それが坐禅だ」と言われた余語老師のお言葉もその意味合いで私は受け止める。「願うことがなければ安楽である。もっとも、世の中に願うことの無い人などいないから、願いに拘らない」というのが、より正確な表現であろう また、老師は「修行は厳しければ厳しいほど良いというものではない。修行は我慢比べではないのだ」と言われた。

厳し過ぎる修行には批判的だった。多くの人が尊敬の念で語る比叡山の千日回峰行についても「やれる人はやればよい。それだけのこと。足の悪い人はどうするんじゃ」と冷ややかだった。千日回峰を満行した人は阿闍梨と称され、阿闍梨様の衣に触れるとご利益があるという習わしが京都にあるが、「そう思う人はそうすればよろしい」と突き放した言い方だった。お釈迦様が自らの体験から厳し過ぎる修行で得るものはあまり無いと中道の修行法を説かれたことに通じるものがある。老師は、常人では出来ないような特殊技能をもてはやすことを快しとはされなかった。「オリンピックの百メートル競走で十秒を切って優勝する。それは立派なことなんです。しかし、それだけのことなんですよ」と言われた。

反面「けらというものに生まれて泳ぎおり」という句を好まれて、よく引き合いに出された。けらという動物はあまり恰好も良くないし、泳ぎ方も決してスマートではない。しかし、それなりにこれしかないという風に泳ぐ姿を尊しとされた。落ちこぼれの無い世界にこそ安心の姿があるとのお考えだったと思う。今回のコロナ禍で世界は大きく変わりつつある。感染は直ぐに収まりそうではないし、収まったとしても感染前の世界に戻るとも思えない。人々の心理状態が感染以前のそれに戻るとは考えられない。今迄の常識が通用しなくなった。仏教寺院を取り巻く状況も例外ではないだろう。今迄のように大勢が連れ立って寺に集まるような講や接心は性格が変わるかもしれない。

人口減少もあり、檀家が減り寺が立ち行かなくなるケースも増えるのではないだろうか。歴史を振り返ると、仏教も決して固定的ではなく、時代により地域により人々の要請に応じつつ変革してきているし、今後も変革し続けるであろう。お釈迦様の時代は出家主義であったが、お釈迦様がお亡くなりになり、その教えが仏教として伝えられ広められて行くと、そうも行かなくなった。紀元前一世紀頃になると在家でも解脱は得られるという大乗仏教が世界に広まり、今日の日本ではこれが主流になっている。

本来解脱の道は、出家であれ在家であれ、行く先に違いはない筈だ。日本には日本に合った仏教。変化の激しい現代の日本で様々な不安を抱えながら生きている人々が求めている心の安らぎを、果たして仏教が与えられるかが問われている。それが出来なければ日本の仏教が衰退しても仕方がない。老師は人生に「遊び」の感覚が大事だとよく仰った。子供は誰に言われなくとも自然に遊ぶ。何のシナリオも無しに。この遊びで何かの足しにしようとか、何かのためにしようとかいうことでなく、只ひたすらに遊ぶ、あれが貴いのだと。

そう言えばこんな歌がある。遊びやせんとて生まれけん戯れせんとて生まれけん遊ぶ子供の声聞けば我が身さえこそゆるがる これは平安末期の後白河法皇(1127― 1192)が詠まれたものだ。無心で遊ぶ子供のようになってみたいという願望かもしれないが、所詮人生は遊びではないかと詠っているようでもある。そうかもしれない。人生の意義とは何ぞやと問うてみても、「遊びやせんとて生まれけん」以上に明快な答えは出てこないのではないか。人生は遊びなりとしても、遊ぶからと言って働かないとか仕事をしない訳ではない。仕事も遊びだということだ。仕事が遊びとはけしからんという人もいるかもしれないが、仕事をちゃらんぽらんにやる訳ではない。真面目に一生懸命仕事をするのだが、それが遊びになっているということ。趣味で絵を描く人。絵を描くことを職業にする人。どちらも絵を描いて遊んでいることに違いはない。

損したり得したり、勝ったり負けたり、泣いたり笑ったり、迷ったり悟ったりの人生が、そのまま仏様の掌の上での遊びになっているのなら安楽ではないか。老師の若かりし頃の話しで、或る寺に「儂が昼寝中に客が訪ねてきても取り次ぐな。『昼寝も仕事じゃ』」と周りの者に言いつける和尚がおられたそうである。

晩年の老師がよく色紙に書かれた偈に「歩々豊」(歩々二豊カナリ)
というのがある。おそらく御自分で創られたものだと思う。「好い言葉ですね」と私が申し上げると「好いだろう」と満更でもないご様子だった。この言葉の意味合いを考えてみる。「雑用」という言葉があるが、何が雑用で何が雑用でないかと問われれば困るものだ。日常茶飯事も、一生の一大事も、一歩の歩みであることに変わりは無い。次の仕事を早くやろうと、目の前の仕事を手っ取り早く片づけるのではない。目の前の仕事をまっとうに行なって、それから次の仕事にかかる。一歩一歩の歩みである。朝から番まで毎日これの繰り返し。歩々に豊(ゆたか)に。仕事も遊び。昼寝も仕事。こうであってこそ日常生活の一歩一歩にゆったりとした心の豊かさ、安心が宿るのだと思う。
(令和四年一月)