寄稿文 正法眼蔵に出会う 白川正信

私は昭和五十六年から始めた居合道にのめりこんでいました。宗教というか仏教というかそういう類のものには無縁の生活でした。平成十六年に郷里に帰るまで職場と居合道とアルバイトで忙しかった。アルバイトは日曜、祭日に集中していた。かような生活を送っていた時、居合道の先輩である中田敏之先生に総持寺の日曜参禅会に誘われました。昭和六十三年か六十四年頃だったと思う。しかし、忙しくて三、四回参加しただけでした。その後中田先生が蒲田にある青巒寺(大内青巒開基)にて坐禅会を始めるので参加したらどうかといわれた。平成二年のことだった。以来、時間の許す限り参加することになりました。途中から小松さん、石井さんも参加。教本は岸沢惟安老師の「われらのよるべ」だった。林誠道和尚は彼にゾッコンだった。理由は格調高いからとのこと。

それから何年か後に正法眼蔵を読んでみないかと言われました。それまで正法眼蔵なるものを知らなかった。しかし何の縁か分かりませんが平成九年三月に神田神保町の東陽堂から岸沢惟安老師の正法眼蔵全講二十四巻を購入。しかし、少し読んだが全く分かりませんでした。相変わらず忙しい日々でその存在すら忘れていたくらいでした。平成十八年に郷里に帰ってからも全く読むことはありませんでした。東京に四十三年間居てもほとんど東京を知らないと同様に、秋田のこともほとんど知らなかった。写真クラブ、歩こう会、野草の会等に入会し、秋田を知ることに忙しかった。平成二十六年、一つの写真クラブ以外は全て退会しました。

この年から「正法眼蔵全講」を読み出しました。しかし退屈だった。分からないのである。般若心経、歎異抄の方が楽しかった。誠道和尚に相談したら辛抱だとのこと。しかし何でこんなに分かりにくいかと悩みました。自分の頭の悪さをうらめしく思ったりもした。それから二年位してから誠道和尚から手紙が届いた。榑林皓堂老師(昭和四十三年から五十年まで駒大総長)の「正法眼蔵講讃」を読んでみたらどうかという。早速全五冊購入。読んだ。岸沢眼蔵の分からない箇所を照らしあわせて。私は榑林老師の眼蔵を読んで目が覚めました。分かったことは「読書百編意自ずから通ず」と言われますが、道元を眼蔵を理解するには当てはまらないことを痛感しました。

一つは宗教上の内容にあります。「唯仏与仏」の世界でした。即ち仏法は人の知るべきにあらず。この故にむかしより凡夫として仏法を悟るなし。二乗として仏法を究むるなし。ひとり仏に悟らるるゆえに「唯仏与仏万能究尽」という。釈尊は「我に正法眼蔵 涅槃妙心 実相夢想」の微妙の法門がある。この法門は文字言句では伝えることができないものである。今加葉に伝える」といわれた。拈華微笑である。以来歴代祖師方の血の滲むような努力により、達磨大師に伝わり、六祖慧能禅師に単伝し、各祖師方から天童如浄禅師に伝わり、道元禅師が嗣法した。「釈尊正法の仏法」の二千五百年の歴史である。釈尊と道元、正に「唯仏与仏」である。奇跡である。今正法眼蔵を読むことができるありがたさをつくづくと思う。

二つ目は道元禅師の独特な言語表現である。秋月龍珉老師は思想の哲学的操作に慣れる必要がある。体験と思索、宗教と哲学、知と行、止(禅定)と観〈智慧〉は道元の本然であろうという。そして自己と自分をとりまく環境と先入観を相対化し、言語表現という行為を通じて世界の真相を自覚しなおし、真理へとたどる行為を続けていた。それは定型化された表現を嫌い、真理につながる自分の言葉を生み出そうとする行為と見られる。例えば「一切衆生悉有仏性」は悉有は仏性なりと読み換えている。又「諸悪莫作」は諸悪は莫作なりと読みかえている。「有事」の巻にも見られる。本来、有る時という副詞である「有事」という言葉を「有るところの時」と読み換えながら時間論を発展させていく。道元禅師は多くの仏典等を引用し、それを丹念に分析するが、単に言葉を解釈するのではなく、語句をその最も透脱した形にまで変換していくのである。言葉は象徴としての機能を離れ、思惟と一体となっている、と説く。言語化不可能の真理をあえてこういう形で言語化しようとしているように思える。

私には「仏の世界」「悟りの世界」というものはかくも自由なる発想ができるものなのかと驚きの世界であります。このことは山水経の巻に「青山常運歩」(山は常に歩いている)「東上水上行」「橋流水不流」。凡人には不可思議、奇妙なことである。山が不動というのは先入観ではないのかと道元は疑うのです。山不動ははたして真実なのか。

最後に道元禅師は「只管打坐」を説く。仏道を学ぶ最大の要は坐禅第一である。悟ることができるのは「坐禅の力」である。一文不通でも無学愚鈍の人でも坐禅を専一にすれば、長年参学した聡明の人にも勝って悟れるものである。故に修業者は只管打坐して、故人の語録、行履などは読むな。仏祖の道はただ坐禅である。これに気付いた道元はひたすらに打坐して大事を明らかにすることができた。(随聞記)

又、現成公安が道元の思想の要であると考えられているし、正法眼蔵を言いかえた言葉といわれる。しかし、現成公安を読んでいくと辿り着く先は坐禅である。「坐禅とは何か」が問題であると思った。坐禅は扇の要である。全ては坐禅から演繹し、そして坐禅に帰納するのだ。坐禅箴を読み始めた。坐禅箴の巻だけで七百四十頁の大部である。道元は坐禅の真意を誤らせまいと力を注いでいる。

私の一日は朝七時半頃から九時近くまでの読経で始まる。その後朝食。午後二時半頃昼食。その間に二時間ばかり眼蔵を読む。午後三時半頃から約一時間程ウオーキング。家に戻ってからは体のマッサージ等を行ないそして風呂、そして軽い夕食。午後八時には自分の部屋に入る。眼蔵を二時間ばかり読む。その後坐禅を一柱。その後一時間程眼蔵を読み寝る。大体毎日この繰り返しです。時間の合い間に洗濯、掃除等の仕事。雪カキが一番つらい。腰が痛むのです。体には気をつけているつもりですが歳相応にあちこち悪いところがでてきています。家内も大分回復しましたが、四十日ごとに病院へ行っております。薬は一生飲みなさいといわれています。

多分投稿するのは最後だと思い名乗りでましたが、一月二十五日〆切りというのは考えていませんでした。八月頃まで投稿すればいいと思っていたのです。それ急遽最近感じていた事を書こうと決め書きました。小生、秋田の片田舎でひっそりと暮らしております。ひたすら禅修業のマネ事の日々です。二年前には町内会も退会。友達関係も整理しました。

今のところ、雪カキ、ウオーキング、そして週一回の買い物以外は外に出ないし、人と会うこともありません。誠道和尚は非僧非俗の生活を目指せという。非僧非俗は親鸞聖人にのみあてはまる言葉。とても、とても及びません。せいぜい半僧半俗がいいところです。 

投稿の最後に、平井先生、小松さん、菊地さん、石井さん、多くのほかのいろんな人達にお世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。翆風講の旅行も楽しかったです。忘れられない思い出です。皆様方の健康と更なる活躍をお祈り致します。

                        合 掌                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 平成31年1月23日