寄稿文 「足るを知る」に考える 平井満夫

爪切ったゆびが十本ある
余語翆巌老師は提唱の中でよくこの句を話題にされたものである。爪を切っていると自分の指が、えも云われぬ微妙な動きをして仕事をしてくれる。切り揃った爪を眺めて、改めて十本の指の有難さを嚙みしめると云う俳句。「足るを知る」の一例として引き合いに出された。心豊かに生きるには「足るを知る」が大切ですよと云うお話だった。


この句の作者は尾崎放哉(ほうさい)という人である。明治から大正にかけての自由律俳句の代表的俳人として山頭火と共によく知られている。自由律俳句とは五七五の定型に縛られない俳句のことである。この人は一風変わった人で、鳥取県の出身。一高、東大のエリートコースで学び、大手の生命保険会社に入って大阪支店長まで出世していたのだが、型にはまった会社勤めが嫌になったのか、酒癖もよくなかったようで会社を辞めてしまい、あちこちの寺に寺男として住み込み、遂には小豆島の寺で、のたれ死の様に四十一才の生涯を閉じたという人だった。小豆島に渡る前には須磨寺の太師堂に一人で住み込んでいた時期があった。自由気ままな人生ではあったけれど、孤独奇矯の人だったようだ。

数年前、私はこの須磨寺を訪れたことがある。須磨は瀬戸内海を望む白砂青松の景勝地だが、平家の公達、平の敦盛が源氏の武将熊谷直実に討ち取られたという故事を連想するからか、どことなく寂しい雰囲気があって趣のある所だ。JR線は海辺に沿っており、須磨駅は海のすぐ近くにある。駅の陸橋から海を眺めると広々とした景色に思わず足を止めてしまう。駅から山側に向かって少し行くとJR線と並行して走っている山陽電車の線路がある、このガードをくぐって更に山側に歩いて行くと、やがて参道に交差する。この辺りは閑かな住宅地だ。須磨は源氏物語にも出てくるが、平安時代から貴族が住む所でもあったらしい。どことなく京都の雰囲気を感じさせる。須磨寺はこの参道の奥にある。緑の山を背にたたずむ閑かなお寺だ。

境内の奥に敦盛塚があり、ここにもお参りする。須磨寺は通称で正式名称は上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)。真言宗のお寺である。平安時代初期に開かれたとのこと。尾崎放哉は大正末期のある時期、ここの太師堂に寺男として住み込んでいた。この頃彼は生涯で最も創作意欲の盛んな時期だったようである。その中の一首こんなよい月をひとりで見て寝るの句碑が本堂の横にあった。いい句である。夜の帳が下りて静まり返った寺の境内。お堂の屋根の上に煌々と光る月。一人で眺めるのがもったいないような、それでいて一人じめ出来る贅沢な気分。一人住まいの気楽さ、そして淋しさも感じられる。静謐な須磨寺のたたずまいが目に浮かんでくる。考えてみると面白いものである。住むに家なくここに転げ込んで来て、ものの半年も居なかった寺男の句が石碑に残って、須磨寺のホットスポットの一つになっている。

さて、本題に戻る。「足るを知る」は仏教の大切な教えの一つである。しかし、「足るを知る」だけを金科玉条のように守っていればよいと云うものではなさそうだ。「足るを知る」だけでは、進歩がないのではないか。進歩と言うと進歩などしなくてもよいという考え方もあろうから、進化と云い直そうか。進歩と進化は明らかに異なる。人間の物質文明は確かに進歩しているが、精神文化は果たして進歩しているのだろうか。むしろ退歩しているのかもしれない。昔は末世という見方があって人間社会は退歩していると考えていたようだ。「須べからく回光返照の退歩を学すべし」との道元禅師のお言葉もある。

進歩か退歩かの議論はさて置き、進化は否応なしである。万物は流転している。大地は静止している様に見えるが、地下のマントルは煮えくりかえっている。いつ地震があってもおかしくない。お釈迦様がお悟りになった時のお言葉「我ト大地有情ト同時二常道ス」の大地有情は動きづめに動いている。人間社会も片時も休みなく進化している。

「足るを知る」だけでは、進化について行けないのではないか。早い話がお釈迦様である。古代インド北部ルンビニの王家に王子として生まれられたガウタマは何不自由ない生活をしておられた。もし「足るを知る」のみで何不自由ない王子の現状に満足しておられればそれで一生を終えられたかもしれない。あのブッダの悟りには至らなかったのかもしれない。自分を含めて人間はどうして生老病死の苦しみから逃れられないのだろうか、どうすればこの苦しみから脱して心の安らかさを得られるのだろうかと思い悩まれた末に、妻子を残したまま王宮を出て敢えて探究の道に入られたのだった。「足らざるを知る」ことが動機だったと考えられる。

また、余語老師は般若心経の一節「無眼耳鼻舌身意」を、「眼耳鼻舌身意無シ」と読む一般的な解釈に物足りないものを感じられた。そして「無」と云う漢字の意味を、その語源は「草木の生い茂る姿」と辞書にあることから、無とは「天地根源のいのちが展開している姿」と解釈して「無ノ眼耳鼻舌身意アリ」と読むことを提案された。これは今までに無かった全く新しい解釈で余語老師の独創的新説である。

「人の後を辿るだけでは駄目だ。自分独自の新しいものを出さないと
ね」
と老師はよくおっしゃった。これも「足らざるを知る」ことから
始まっていると言えよう。「足らざるを知る」は人間が本能的に持つ探究心の表れであり、人類の進化をもたらしてきたが、反面、「足らざるを知る」だけが一人歩きすると「もっともっと」という際限のない欲望に連なる。富める者は更に富を求めるのは人間の性(さが)と云うべきか。正に仏教で云う煩悩である。煩悩こそが人間の心を苦しめる根源とお釈迦様は悟られた。

「足るを知る」「足らざるを知る」も夫々単独では問題があり、両々相俟ってはじめてバランスがとれるということのようである。ピアノを弾く時、右手だけ、或いは左手だけで弾いたのでは単調な音楽しか出せないが、両手で弾くことではじめて絶妙な音楽が奏でられるのと似ている。目まぐるしく変り行く現代に生きる我々の日常生活の中で「足るを知る」と「足らざるを知る」をバランスよく保つにはどうすればよいのか。難しい問題で正直のところ私は人さまに話せるような答えを持ち合わせていない。ただ右往左往する日々である。ただ考え方のヒントが貰えそうな話をたまたま最近ラジオで耳にしたので以下に紹介したい。

それはインドネシアに長年住む或る日本人(名前は失念)の現地からのリポートだった。それによると、インドネシアでは大多数がイスラム教徒で宗教を非常に重んじており、国の憲法の第一条は「唯一の神」を規定しているとのこと。その背景にある思想によると、唯一の神とは「自然の摂理」のことで、ムハンマドや、キリストや、釈迦はこの摂理を人々に伝える伝道師という位置づけだそうである。更に彼は日本人の宗教観について次のように述べた。「多くの日本人は『私は無宗教です』と言いますが、自然の摂理を心の底では信じています。

だから正月には神社や寺に初詣に行く。年末にはクリスマスを祝う。なんのこだわりも無い。日本人は本当のところは世界で最も宗教的なのです」と。国の外から日本を見た彼の観察である。日本に住む我々には実感がないが、そういうものかもしれない。本当に眠っていると眠っていることを意識しないように。

それはそれとして、私は考える。自然の摂理とは天地根源のいのちが展開している姿に他ならない。正に余語老師の「無ノ眼耳鼻舌身アリ」である。してみると、「足るを知る」も「足らざるを知る」も「無」の眼であり、耳であり、鼻であると解すればよいのかもしれないと。
(令和三年八月)