禅の道 藤田彦三郎

第四十四号    昭和46・8・1  

真実の仏教は生死(これは生老病死の四苦を代表して云っております)は迷い煩悩の世界で涅槃はさとりの境地で彼岸とも云いますが何事も対立的に分け考え一を取り他を捨てる一方に偏した考えを捨てさせます。これを迷悟不二とか又は生死即ち涅槃・煩悩即ち菩提と云っております。

正信偈(しょうしんげ)(親鸞聖人がお作りになった偈)の中に能発一念喜愛心 よく一念喜愛の心を発すれば不断煩悩得涅槃 煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり

又続いて惑染凡夫信心発 惑染の凡夫信心を発すれば 證知生死即涅槃 生死即涅槃なりと證知せしむと云って居られます。迷い悩み多い吾々凡夫が信心を発すれば生死そのままが涅槃又は極楽なりとお教えになって居ります。

又道元禅師も修証義の第一節に「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり。生死の中に仏あれば生死なし。但生死即ち涅槃と心得て生死として厭うべきもなく涅槃として欣うべきもなし是の時初めて生死を離るる分あり唯一大事因縁と究盡すべし」とお示しになって居りますがこれが仏教の目的でございます、生を明らめ死を明らめとは、はっきりあきらかにする事で、人は生まれて来たから仕方ないから生きて居るのだとあきらめて捨てばちな人生を送るあきらめではありません。悩み苦しみ悲しみの多い、不平不満の多い世の中だから確りと生きる道を明らかにして日常生活を健康で楽しく意義ある人生を送る様にお教えになって居ります。生死の迷いも涅槃も別物で御座いません。仏法からすれば生死は生死としてそのまま、涅槃は涅槃としてそのまま、そうなると生死は迷いでなくなります。生死即ち涅槃であると深く信仰すればこの生死の迷いの世界が即ちそのままさとりの人生に転換される事になります。

第四十五号    昭和46・8・1

さて先月に続き歎異抄をさせていただきます。「弥陀の本願まことにおわしまさば釈尊の説教、虚言なるべからず、仏説まことにおわしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞のまうすむね、またもてむなしかるべからずさふらふか。せんずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、また捨てんとも、面々の御計(おんはからい)なりと云々」

「解釈」阿弥陀仏の本願が真実であれば、釈尊のみ教えはうそいつわりであるはずがない。釈尊のみ教えが真実であれば善導大師(支那唐時代の高僧)の御解釈もうそである訳がない。釈尊の説かれたものを「」といい、釈尊の説教の祖師方の説かれたものを「」と言い、インドの高祖方の説かれたものを「」といいます。善導大師の御解釈が真実であれば御師匠の法然上人の仰せがどうしていつわりであろうか。法然上人の仰せが真実であればこの仰せをそのまま信じて居る親鸞の申す趣意もまたいつわりであろうはずがないではないか。結局のところ愚かなわたしの信心はいま申した通りであるとキッパリおっしゃったのであります。このうえは念仏を信じて阿弥陀仏の救いにおまかせしょうとも、また念仏を信じないで棄てようとも、それは訪ねて来られたあなた方のお考え次第であると、この様に命がけで来られたお弟子達にズバリ言はれました。親鸞聖人の言はれる事を押し付けるのでなくあなた方の判断次第であるとハッキリお答えになったのであります。この「面々の御計なり」は言葉はやさしいですが大慈大悲が溢れて千金の重みがあります。

第四十六号    昭和46・8・1

ここでよく考えてみますと命がけで道を求めて来られたお弟子達は親鸞聖人が京都に帰られる以前、関東地方を布教された時に一生懸命聞法して浄土真宗に帰依されたお弟子達と存じます。何もせずぼんやりしてこの様な真剣な問答は出来ないと思はれます。信仰はやはり自分に対して真剣に道を求めなければ自分のものにならないと存じます。

 今迄歎異抄を解釈させていただくのに都合の良い様にお弟子と云う言葉を使いましたが親鸞聖人はお弟子と云う言葉を一度も用いられませんでした。歎異抄第六章に「専修(せんじゅ)念仏のともがらのわが弟子、ひとの弟子といふ相論のさふらふらんこと、もてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人も、もたずさふらふ・・・以下略」とあります。   総ては等しく仏に導かれ、仏から信心をいただいた人たちである以上、そこに師弟の差はないと云う考えからと存じます。それで聖人は共に身分の高い低い人も利巧な人も愚鈍な人も皆区別なく手を取り合って浄土の道を歩く者として「同行(どうぎょう)」と呼び「同朋(どうぼう)」と名づけられました。