寄稿文集 平井満夫
安心(あんじん)の境地を求めるのが仏教|安心の道 平井満夫|翠風講ニュースレター第44号 令和4年(2022)1月発行 

安心の道 平井満夫 幸せを願う祈り。何が幸せかは人それぞれに異なるが、人間誰しも幸せを願うのは自然の姿である。その願いが叶えられるとは必ずしも限らない。たとえ願いが叶わなくても心が安らかであるにはどうすればよいか。 安心 […]

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禅の道 藤田彦三郎
仏教信仰の基は釈尊の教えに帰依すること| 禅の道 藤田彦三郎|翠風だより第170号 昭和48年(1973)5月発行 

仏教信仰の基は釈尊の教えに帰依すること 禅の道 藤田彦三郎 仏教信仰の基は釈尊の教えに帰依する事で御座います。 深く仏法僧の三宝を敬ひ帰依する事で御座います。信仰心なくただ学問として仏教を研究し又仏教美術として仏像や書画 […]

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禅の道 藤田彦三郎
仏法を行ずるに品を選ぶべきにあらず|禅の道 藤田彦三郎|翠風だより 第171号 昭和48年(1973)5月発行

仏法を行ずるに品を選ぶべきにあらず|禅の道 藤田彦三郎 手足あり。合唱行歩にかけたる事あるべからず。仏法を行ずるに品を選ぶべきにあらず。人界の生は皆是れ器量なり。余の畜生等の性にては叶ふべからず。学道の人はただ明日を期す […]

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禅の道 藤田彦三郎
末世について 禅の道 藤田彦三郎|翠風だより第37号 昭和46年(1971)7月発行

禅の道 藤田彦三郎 末世に就いて御説明致します。 末世とは末法の世と云ふ事で釈迦が入滅されてから数えて千年(或は五百年と云ふ人もあります)を正法の時代と云い 次の千年を像法の時代と云い その両時代を過ぎた後の一万年を末法 […]

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禅の道 藤田彦三郎
生きて居る只今の極楽が分かれば、死んでからの極楽も解決出来る|禅の道 藤田彦三| 翠風だより第37号 昭和46年(1971)7月発行

禅の道 藤田彦三 生きて居る只今の極楽が分かれば死んでからの極楽も解決出来るかと思はれます。逆に死の問題が解決されれば生きて居る問題も解決されるかと存じます。 お互い吾々は生きて居る間一生懸命働き親子、夫婦、兄弟等が一緒 […]

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寄稿文集 平井満夫
心豊かに生きるには「足るを知る」が大切ですよ|「足るを知る」に考える 平井満夫|翠風講ニュースレター第43号 令和3年(2021)9月発行

「足るを知る」に考える 平井満夫 爪切った ゆびが十本ある。 余語翆巌老師は提唱の中でよくこの句を話題にされたものである。爪を切っていると自分の指が、えも云われぬ微妙な動きをして仕事をしてくれる。切り揃った爪を眺めて、改 […]

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御垂示 余語翠巖
古語に「河頭に水を売る」というのがある|濁り川のほとりできれいな水をうるということではない。河頭に水を売る 余語翠巌|翠風講ニュースレター第11号 平成17年(2005)9月発行 

河頭に水を売る 余語 翠巌 古語に「河頭に水を売る」というのがある。濁り川のほとりで、きれいな水を売るというようなことではない。水はきれいなものという時代のことである。誰もお金をつかって買うものはいない。無駄事である。余 […]

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御垂示 余語翠巖
人はそれぞれ何かの価値を求めて人生を営んでいる|御垂示 格外の風光 余語翠巌 翠風講ニュースレター第42号 令和3年(2021)発行

格外の風光 余語翠巌 私共が今生きている世間にはさまざまな価値があって、人はそれぞれに何かの価値を求めて人生をいとなんでいる。お金を尊いと思い、芸術に至上の価値を求め、道徳的に立派であろうと思い、それらが入りくんでいろい […]

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