仏教信仰の基は釈尊の教えに帰依すること| 禅の道 藤田彦三郎|翠風だより第170号 昭和48年(1973)5月発行 

仏教信仰の基は釈尊の教えに帰依すること 禅の道 藤田彦三郎

仏教信仰の基は釈尊の教えに帰依する事で御座います。

深く仏法僧の三宝を敬ひ帰依する事で御座います。信仰心なくただ学問として仏教を研究し又仏教美術として仏像や書画建築その他を観賞する様には致し度く無いと思っております。

あくまでも信仰ですから信心を持って生活の糧として日々を報恩感謝の生活が出来ます様に努力を仕様では御座いませんか。

お葬式をしたり法要をしたりするばかりが仏教では御座いません。その日その日を苦労して一生懸命働いている私達を励まし喜びを与え家族揃って安住させていただくのが仏教だと存じます。

遠くに佛を求め菩提(さとり)を求め幸福を求めるのではないのです。自分の住んで居る家庭の中に、自分の心の中に佛はあるので御座います。浪曲師がよく一番最初に云います文句に

傀儡師(かいらいし)胸にかけたる人形箱 佛出そうと鬼を出そうと

と御座います。佛を出すか又鬼を出すかは皆その人にあるので御座います。心は常にその時々に依って変わります。努めていかなる環境にあっても和顔愛語の気持ちを持って人に接し度いもので御座います。

親鸞聖人始め多くの祖師方は末法に対するそれぞれのお考えを持って居られましたが道元禅師のお考え方を正法眼蔵随聞記に依ります示として云く、世間の人多く云く学道の志あれども世の末なり。人くだれり。我が根劣なり。如法の修行に耐ふべからず。ただ随分にやすきにつき結縁を思ひ他生に開悟を期すべし」と。

今は云くこの言ふことは、全く非なり。仏法に正像末を立つ事、しばらく一途の方便なり。真実の教道はしかあらず。皆うべきなり。在世の比丘必ずしも皆勝れたるにあらず。不可思議に希有に浅増しき心、下根なるもあり。佛、種々の戒法等をわけ給ふ事、皆わるき衆生、下根のためなり。人々皆仏法の機なり、非器なりと思ふ事なかれ。

修行せば必ず得べきなり。既に心あれば善悪を分別しつべし。

翠風だより 第170号 昭和48年5月1日 禅の道 藤田彦三郎