ミレーの「晩鐘」について 信仰そして禅の道を説いています|禅の道 初代講元 藤田彦三郎 翠風だより第85号 昭和47年3月発行

禅の道 初代講元 藤田彦三郎

有名なフランス画家ミレー(1814-1875)の画いた「晩鐘」も同じ處ではないでせうか。大空のもと天地自然の営みは一時の休みなく続けられて居ります。一日の勤労を終え西の彼方に夕陽が沈む時何処かの教会から鐘の響きが聞こえて一瞬敬虔なお祈りを捧げる姿。ここに信仰があるのではないでせうか。

これは丁度正法眼蔵生死の巻に「ただ我が身をも こころをもはなちわすれて 佛の家になげいれて・・・云々」と同じ處と思はれます。佛の家にただ投げ入れるので御座います。これを禅語で帰家穏坐と申します。

一番安心な落ち着いた處です。丁度いくら奇麗なホテルか或いは温泉で山海の珍味を食べて泊まってもせいぜい二,三日は良いですが長くは居られません。どんなに小さく粗末な家でお茶漬けをしなければならぬ様でも家族揃った自分の家に帰って坐った處が一番で御座います。

宗教は道徳的に説く善悪をふくみ、それを越えた世界で御座います。道徳で救はれない人も宗教では救はれるのではないでせうか。
親鸞聖人は道徳的には何も悪いことはなさらず私達凡夫からは聖人として讃仰されております。しかし聖人ご自身は深く内観なされて何も善い事は出来ない浅ましい罪深い凡夫であると自ら愚禿(ぐとく)親鸞と云はれました。ここに宗教があるのではないでせう

翠風講だより 第85号 禅の道 藤田彦三郎

ジャン・フランソワ・ミレー 「晩鐘」 1857~1859年 パリ・オルセー美術館

陽の沈む頃、ジャガイモの収穫を終えた夫婦がその糧を神に感謝している様子が描かれている。女の後ろにある一輪車には袋詰めしたジャガイモが乗っているのだろう。夫婦の足元にはバスケットに入れた別のジャガイモが置いてあるが、これは今夜の食事用だろうか。遠くに教会の尖った屋根が見え、「晩鐘」と言う画題からして鐘の音が鳴っているらしい。二人は頭を垂れてひたすら祈る・・・「天のお父様、今日の糧を与えてくださり感謝いたします・・」