御垂示 余語翠巖

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笑うも泣くもみな人生のかざり 余語翠巌|翠風講ニュースレター 第16号

御垂示 笑うも泣くもみな人生のかざり 余語翠巌 私は愛知県の奥の鳳来山という山の裏にあるお寺の生まれですが、五つのときに住職の父親に死なれました。ところが昔のことで、寺におられぬことになり、母親と一緒にあっさり放り出され […]

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古語に「河頭に水を売る」というのがある|濁り川のほとりできれいな水をうるということではない。河頭に水を売る 余語翠巌|翠風講ニュースレター第11号 平成17年(2005)9月発行 

河頭に水を売る 余語 翠巌 古語に「河頭に水を売る」というのがある。濁り川のほとりで、きれいな水を売るというようなことではない。水はきれいなものという時代のことである。誰もお金をつかって買うものはいない。無駄事である。余 […]

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人はそれぞれ何かの価値を求めて人生を営んでいる|御垂示 格外の風光 余語翠巌 翠風講ニュースレター第42号 令和3年(2021)発行

格外の風光 余語翠巌 私共が今生きている世間にはさまざまな価値があって、人はそれぞれに何かの価値を求めて人生をいとなんでいる。お金を尊いと思い、芸術に至上の価値を求め、道徳的に立派であろうと思い、それらが入りくんでいろい […]

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春は枝頭にありて十分|御垂示 余語翠巌 ニュースレター第44号より

求道者(ぐどうしゃ)と言われる人が、最後はそんなことせんでもよかったんだなあということがよく分かると言ったという話がよくあります.馬鹿げた話だと思うが、ずうっとやってこなければ分からんというのだから、これまた始末が悪いの […]

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「禅戒抄」禅というのはどういうことか?| 余語翆巌著「禅の十戒」

禅というのはどういうことかというと、一大事因縁とかいろいろ説明かありますが、前々から申してきたように、この説明でいきますと、天地法界のいのちのことを言うのです。それを禅といい、戒と名づげると書いてあります。ですから戒とい […]

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御垂示 余語翠巌 「ひろやかないとなみ」翠風講ニュースレターより

  武蔵野は今、春から夏への移り変りの中に静かに暮れようとしている。新緑のやわらかい息吹きが微風にゆれて彼の散策の行方に喜び迎える表情を示している。絣着の彼は、ゆっくりと歩を運びながら、浄水場の塔の門を入り、せまい塔の階 […]

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仏性とは何か 余語 翠巌

      涅槃経というお経に一切衆生悉有仏性と書いてあります。悉有はしっっと読みます。仏性というはどういうことをいうのか。ちょっと簡単には言いにくいのです。悉く仏性有りというように読むのが普通ですが、そういうふうに読む […]

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御垂示 道元禅師の初説法 余語 翠巌

  この観音導利興聖宝林寺という寺(深草にあった興聖寺、現在は宝塔寺になっている)は、中国から帰られた道元禅師が天福元年(1233)に開創された日本最初の宗門寺院、即ち曹洞宗の修行道場です。いまでも宇治に興聖寺というお寺 […]

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