死んだら何処へ 平井満夫|翠風講ニュースレター第23号 平成23年(2011)9月発行

死んだら何処へ 平井満夫

今年の翠風講の総会、話し合い法座でこんな興味深いやりとりがあった。「先日、あるお葬式で納棺の儀を終えたところで孫から『人は死んだら何処へ行くの?』と聞かれ『新しい旅立ちなのよ』と答えたものの、実の所自分でもどう答えてよいか分からなかった」という自らの体験を室伏マサ子さんが話された。これに対してブータンの事情に詳しい菊地豊さんは「ブータンの人は明確な答えを持っている」と次の様な話をされた「ブータンの人は大部分が敬虔な仏教徒で、仏壇にはお釈迦様を祀る。日本の様に先祖を祀る習慣は無い。死んだら生まれ変わると彼等は固く信じている。何に生まれ変わるか、牛か馬かハエかは分からないがとにかく生まれ変わるのだから死を悲しまない。生まれ変わるまでの現世で何をすべきか、お釈迦様の教えを守ることと固く信じている。だから彼等は生き物を慈しむ。日本の様に花を折ったりはしない」と。

「成程。ブータンの人は幸せなのだろうな。しかし・・・」と私は思った。「死んだら何処へ行くの?」と聞かれたら、どう答えてよいか私にも分からない。死んだら本当に生まれ変わるのだろうか。お化けではあるまいし、死んだら肉体は死に、それでおしまいではないのか。なにしろ三途の川を渡ってから戻って来た人はいないので、向こう岸の様子は分からない。これは永遠に古くて新しい問題としか言いようが無い。

死後に魂が生まれ変わるという輪廻(サムサーラ)の思想について、原始仏教の研究家並川孝儀氏は、古代インドの初期仏典に於いて時代を遡れば遡る程、輪廻に関する釈迦の表現は否定的かつ消極的になると指摘している。(並川孝儀著「ゴータマ・ブッダ考」大蔵出版)その端的な例が次の偈である。
「煩悩の矢を抜き取った比丘は、この世やあの世といった生存の繰り返しを捨てる。あたかも蛇が年を重ねると今までの皮を脱ぎ捨てるようなものである。」
もともと輪廻の思想は、釈迦在世時の古代インドで支配的宗教であったバラモン教の基本であった。この思想はその後ヒンドウー教に受継がれ、古代から現代に至るまでインドの多くの人々のものの考え方の基本になっている。釈迦はこの思想に疑問を投げかけた。だから当時としては全く新しい思想家だったのだ。しかし、年代を経るに従い仏教にも輪廻の思想が組み込まれ、あたかも輪廻思想が仏教独自の思想と思われる様になったというのが並川氏の仏教史観である。

釈迦は輪廻の思想を明示的にこそ否定はされなかったが、輪廻を超越した思想、少なくとも輪廻という概念に凝り固まった当時の階級思想に対して全く自由な革命的思想を提唱されたのではないかと私は理解する。同じく初期仏典に出てくる「毒矢のたとえ」が象徴的である。(前田専学著「ブッダを語る」NHKテキスト)長くなるのでその部分を私なりに抄訳すると、
ある時、釈迦に「霊魂は不滅でしょうか。あの世はあるのでしょうか。お釈迦様、今日こそは是非私のこの問いに明確にお答えて下さい」と問いかける者がいた。この男は釈迦の下で修行をしていたが、釈迦が輪廻について一向に明確な答えをされないので、これ以上釈迦から明確な答えが得られなければここを出てゆく決心でこの問いを発したのである。それに対して釈迦は次のように答えた。「もし毒矢が腕に刺さった男が『この矢を射た者は王族であるか、バラモンか、庶民か、奴隷か、それが分からぬうちは、この矢を抜き取るまい』と宣言したとしよう。彼には誰が射たか分からないのだから死んでしまうだろう。毒矢を抜くことが先決ではないか。同じ様に、あの世はあるかも知れない、無いかも知れない、私はそういう問いにはっきり答えないし、そういう議論に興味も無い。何故ならそんな問題を百年議論していても結論は出ないからである。私が求めているのはそんなことではなく、どうすれば人は心安らかに生きて行けるのか、そのためには何を実践すればよいのか、そのための正しい行いとは何かということで、それらについては、はっきりお答えしよう。

この男が釈迦の答えに納得したかどうかは書かれていない。私なら納得したと思う。魂の生まれ変わりを信じようと信じまいと、人間の心につきまとう四苦八苦は無くなるものではない。苦の克服、解脱こそが釈迦の追求したものであろう
では輪廻は因習に捉われた古い考えであり、現代の科学的思考と矛盾するものなのだろうか。現代に於いてもこれだけ多くの人々が輪廻を信じているのには、何かそれなりに根拠があるのではなかろうか。輪廻に対して現代に生きる我々はどう折り合いをつけることが出来るのだろうか。

この辺り私にはいつももやもやとしているのだが、ふと脳裏に浮かんだのは余語翠巖老師の「無限のものは有限のものにしか現れる所が無い」というお言葉がヒントにならないかということだった。天地のいのちという無限のものを有限の形に表わそうとして仏師は仏像を作る。仏像にはその無限のものが表わされている。それと同じ様に有限の生きとし生きるものに無限のものが表わされていると考えたのが輪廻ではないか。だから誰にでも分かりやすい様に「生まれ変わる」と説明したのではないか。仏師が仏像に託した無限のものが牛や馬やハエ、地上の生きとし生けるものに現れていると理解すれば輪廻を納得出来るのではないか。まさに現成公案である。

正法眼蔵第一現成公按
「人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆへに不生という。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆへに不滅という。生も一時のくらいなり。死も一時のくらひなり。」
とある。道元禅師の御文章は難しい。しかし、あの「本来の面目」という御歌ならすんなりと入れる。
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、涼しかりけり」

この春、京都であった親鸞展で、親鸞聖人の最晩年のお言葉に出会い、震える様な感動を覚えた。これこそ表題の問いに対する最も直裁的な答えではないかと思うので引用して拙稿を結びたい。因みに、聖人は道元禅師よりも27年年上で、禅師没年の9年後に亡くなっておられる。
「臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心さだまるとき、往生またさだまるなり」(末燈鈔)

(平成23年8月)

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