万法(まんぼう)に証せらるる 平井満夫

かねてから一度は行ってみたいと思っていた吉野山を訪れてみた。昨年十一月のことである。大阪天王寺から近鉄吉野線の特急に乗ると約1時間半で終点の吉野に着く。辺りは山に囲まれて紅葉が美しい。幸い雲一つ無い好天気である。ロープウェーで山の上に着くと有名な金峯山寺(きんぷせんじ)の山門が垣間見える。平安時代、かの藤原道長が参詣したという名刹である。ここは帰りの最後にお参りするとして、先ずはマイクロバスで奥吉野に向かう。うねうねと杉林の山道を登ること約三十分、奥千本という所で降りる。ここから先は南の大峰山に通じる奥駆け修験道があるのみで歩くしかない。道々分かったことだが、吉野の山は基本的に杉林で覆われており。所々に桜の林が奥千本、中千本という様に点在しているのだ。吉野の桜というから全山桜の木かと思い画いていたイメージとは大分異なっていた。

一番奥の西行庵から金峯山神社、源義経が隠れていたという「かくれ堂」を経て、下りは一路金峯山寺に向かって歩くことにした。約十キロ余りの道のりだが、所々の紅葉と下界の風景を楽しんでいるうちに金峯山寺の近くまでやってきた。ふと道の右側にお寺の門が目に入った。門の脇に「天武天皇神像特別御開帳」とあった。こんな所に天武天皇とは何だろう、どうしょうか、行ってみたいが、目的の金峯山寺にも早く行かないと下山が遅くなってしまう。気が急きながらも足はもう門をくぐっていた。小さい前庭だが一見して格式の高いお寺と見た。表の道のざわめきが嘘の様に境内はしーんとして人気を感じない。参詣人は私一人である。靴をぬいで廊下に上がると男の人が私を待っていたように本堂へと案内してくれた。案内人と私と一対一である。

先ず百畳敷の大広間を見る。外周の縁側から見下ろす谷の紅葉の景観は素晴らしい。「春にここから眺める桜は最高です」と案内人。さもありなんと思った。本堂に行く手前にある御堂には弘法大師の立派な木彫の座像があった。三拝してから本堂に入る。そこには確かに天武天皇の座像が鎮座ましましていた。木の香も新しい気品のある像である。「東大寺の仏師が最近彫られたもので、いずれ国宝になるのは間違いありません」と事もなげに案内人。

この寺と天武天皇とのゆかりを案内人の説明から要約すると、「六七一年(天智十)天智大王(おおきみ)の弟、大海人皇子(おおあまのみこ)は出家して吉野で修行しておられた。ある雪の降る夜に爛漫と咲く満開の桜の花の夢を見られた。不思議に思ってこの夢判断をある高僧にさせたところ「これは皇子が天下の王になるよいしらせ」と告げられた。翌年大海人皇子は壬申(にんしん)の乱で天智大王方に勝利して天皇の位につかれた。天武天皇はこの夢のお告げを大変喜ばれ、後年吉野の山に登られ、道場としてこの寺を建立された」とのこと。

天武天皇の日本歴史における位置づけについては、既に拙稿「飛鳥大仏から奈良大仏へ」(ニュースレター第二十一号)で詳述しているので省略するが、要するにこの人は、天皇(宇宙の王の意)という称号を創作して自ら天皇の位についた最初の人であり、それまでの地方豪族の割拠する「倭」の国を、天皇を頂点とする律令国家「日本」という国に改革された政治上の大立者、しかも、仏教を立国の礎とした人なのである。

それはさて置き、ここで話題にしたいのは、私が何の予定もなくこのお寺になんとなくふらふらと足を踏み入れたことなのである。私は正直ここに来てよかったと思ったので、本堂から退出する時、案内人に話しかけた。「今日はいいものを見させて頂きました。天武天皇という人は、日本という国を天皇を頂点とする中央集権体制に創りあげられた政治上の大天才、弘法大師は日本の宗教界の大天才。今日はこんな所で二人の大天才の立派なお像にお参り出来てよかった。こんなお寺があることも知らずなんとなく入って来てしまったのだが、来てよかったと思います」と。するとその案内人はすかさず「それはお客さん、仏様のお導きですよ」とにこやかに応じてくれた。私は、それを聞いてはっとした。「そうか。これが仏様のお導きというものか」と。そうか。あれこれ考えることはないのだ。自分では分別くさく、予定をたててちまちま行動している。それはそれでよいのだが、実は自分の気がつかない大きなところで仏様のお導きがあるのかと。

そう言えば大雄山に初めて入って来た時も、明神岳の帰りになんとはなしに立ち寄ってみたのがきっかけだった。考えてみれば、これが大雄山との御縁の始まりだった。また、ある翠風講の集まりで余語翠厳老師が「なんとはなしに皆さんがこうやってお参りに来られる。なんとはなしにというのを等閑(なおざり)にとも言うが、これが尊いのですね。」と挨拶されたことがあった。それ以来私は翠風講を「等閑(なおざり)の集い」と称している。これも先ほどの案内人の言葉を借りれば「仏様のお導き」なのかと自分なりに納得した。余語老師がよく言われた「無の眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんに)あり」とはこのことか。道元禅師のお言葉「万法に証せらる」とはこのことかと自分なりに思い当たった次第。〔(正法眼蔵第一現成公按)「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるというは万法に証せらるるなり」〕

吉野に行ってよかった。いいことに気付かせて貰ったお寺の案内人に感謝、感謝である。ちなみに、このお寺の名前は桜本坊(さくらもとぼう)という。吉野に行かれたら是非お参りされる様お勧めしたい。さて、実はこの後お参りした金峯山寺のこと、山の上に建てられた驚異の大伽藍と、特別御開帳の国宝蔵王権現立像三体のことなどを、当初は書こうと思っていたのだが、その話はここの主題ではなくなってしまった。

(平成二十五年一月)

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