願心があれば 平井満夫

去る六月初旬翠風講の旅行会で、山田富三老師を伊豆の天桂寺にお訪ねした折り、老師は我々に、ご自分の人生の来し方を振り返って、その転機となった節々で余語翠巌老師に導かれたというお話を、よどみない口調で語られた。私にとって特に印象深かったのは、大雄山で典座和尚になられた時のことだった。山田老師のお話しはこうである。

「私は昭和四十年から大雄山に安居しておりました。余語翠巌老師は昭和五十二年にお山の山主になられました。それから暫くたってからのことですが、配役で突然私は典座を命じられました。それまで私はおよそ料理に無縁の人間で、作れるのは精々味噌汁くらいのものでした。これではとても典座和尚など務まる訳がないと思い悩み、山主老師に『典座はとても務まりそうにありません』と申し出たところ、『願心(がんしん)があれば出来る』と言われました。そこで私は考えました。願心がなければ、坊主をやる意味がない。山を下りるしかない。よし。やらねばならぬと腹を決めて『はい、分かりました』とお引受けしました。

それからというもの、料理の本を読んだり、レシピを勉強したりして、なんとか見様見真似で料理が出来るようになりました。お蔭で長年典座和尚を務めることが出来ましたし、今では料理なら家内の世話にならなくても何でも出来る自信があります。もしあの時、典座をやめて他の役了についていたら、典座をやる機会は一生なかったでしょうし、今の自分はなかっただろう。それを思うと余語老師のあの時のお言葉に感謝しております」と。

人生の転機とはこういうものであろうか。味わい深いお話しであった。余語老師は「バカモン、典座が出来んでどうする」という様な激しい言葉ではなく、「願心があれば出来る」と穏やかな言葉を使われたが、その裏の意味はこの上なく厳しいものだった。山田老師はその意味合いを真正面から受け止められて、そうか、願心がなければ、坊主をやる意味がない。山を下りるしかないと不退転の決意を固められたのである。

余語老師はこの時、なまじっかな親心を出して「そうか、じゃー他の役了をやって貰おうか」とは言われなかった。それこそが本当の親心というものであろう。余語老師は道元禅師の書かれた典座教訓を題材にした提唱をよくしておられた。弟子に典座の大切さを身を持って体得して貰いたいというお気持だったであろうと推察する。

「大智禅師偈頌」講話(註)の中で余語老師は次の様に話しておられる。「普通は修業するのは坐禅をしたり、本を読んだり、お経を読んだりするだけのように考えている人が多くて、その他のことはもう雑事だと思っていませんか。そして雑事と修業は別だと思っている。特に甚だしいのはお勝手をする配役もあるのですが、食事の支度をするということは雑事の最たるものと考えているわけです。とんでもないことです。お勝手仕事の配役の人はお勝手の仕事というのが自分のいのちなのです。それがその人の正念場です。他のことも一つ一つみんな全部がそうなのです。正念場でないところはひとつもないのです。」

道元禅師は、お勝手仕事という、日常の三度三度の目立たない作業のひとこまひとこまに修行の正念場があるということを、中国にいる時に、ある年老いた典座和尚から学んだ経験を典座教訓の中でこと細かく記しておられる。「侘は是れ我にあらず」とか「更にいずれの時をか待たん」という典座和尚の言葉に、はっと気がつかれたのである。さて、ひるがえって弟子山田老師と師余語老師の対話に戻る。

弟子「典座はとても務まりそうにありません」
師「願心があれば出来る」
弟子「はい、分かりました」

この短い対話の中にぱっと散った火花。そこに無限の深い意味合いがあったのだ。この師にしてこの弟子あり。人を育てる師に育つ弟子。巷間よくある学校の部活動や職場での上司と部下の問題も、要はこの心と心の触れ合いがあるかどうかであろうと思う。従容録の現代版があれば載せたくなる様な逸話ではなかろうかと山田老師のお話しを拝聴した次第。

(註) 「道はじめより成ず」地湧社

(平成二十五年七月)