翠風講 ニュースレター42号|寄稿文集 禅の道 藤田彦三郎 

禅の道藤田彦三郎 第84号昭和47年3月1日
一月二十五日グアム島で奇跡の元日本兵二十八年を生き抜く、続いて二月三日三十一年ぶりに故国の土を無事踏まれたと誠に全世界を驚かせたニュースが報道されました。元陸軍軍曹横井庄一さん(五十六才)よくまあお一人でジャングルの中でこの長い年月頑張られたと目頭が熱くなり胸がしめつけられる思いで御座います。三十一年以前三十才で赤紙一枚で応召され日本の勝つ事のみを信じて天皇陛下のため戦陣訓を守り今迄生き抜かれたと言って居られます。ひとえに今後横井さんのご幸福をお祈りすると同時に横井さんを通して幾多の戦死者並びに自ら命をたたれた英霊に対して改めて心から合掌礼拝致したいと存じます。ややもすると終戦後長い年月が経ち経済発展している現在戦争の恐ろしさを忘れがちな私達で御座います。この横井さんの事実を確りと胸に刻んで悲惨な戦争が二度と起こらぬ様老いも若きも共に手を取り合って平和建設のために努力致したいと存じます。

三月二十日は春分の日で御座います。春分、秋分の日を中心として一週間をお彼岸と申します。一年中で暑からず寒からず一番気候の良い時で御座います。彼岸とは涅槃、浄土、理想の国或いは天国とも言います。この流転輪廻の現実の社会を平和な幸福の社会にしようと言うのが春秋二回の彼岸会であります。彼岸会の行事を日本で最初に行なわれたお方は聖徳太子だと伝えられて居ります。聖徳太子は大阪に四天王寺を御建立になられ門を真西にお造りになり春分、秋分の日にはここに出られて西の彼方に沈む夕陽をお拝みになられたと云われております。夕陽の沈むところ大空も山も野も海も美しい金色の光で一杯で御座います。その美しい光の海が西の彼方に収められて行くその處をば西方極楽浄土と云われるので御座います。

翠風講だより 第85号昭和3月1日発行
有名なフランス画家ミレー(一八一四― 一八七五)の画いた「晩鐘」も同じ處ではないでせうか。大空のもと天地自然の営みは一時の休みなく続けられて居ります。一日の勤労を終え西の彼方に夕陽が沈む時何処かの教会から鐘の響きが聞こえて一瞬敬虔なお祈りを捧げる姿。ここに信仰があるのではないでせうか。これは丁度正法眼蔵生死の巻に「ただ我が身をもこころをもはなちわすれて佛の家になげいれて・・・云々」と同じ處と思はれます。佛の家にただ投げ入れるので御座います。これを禅語で帰家穏坐と申します。一番安心な落ち着いた處です。丁度いくら奇麗なホテルか或いは温泉で山海の珍味を食べて泊まってもせいぜい二,三日は良いですが長くは居られません。どんなに小さく粗末な家でお茶漬けをしなければならぬ様でも家族揃った自分の家に帰って坐った處が一番で御座います。
宗教は道徳的に説く善悪をふくみ、それを越えた世界で御座います。道徳で救はれない人も宗教では救はれるのではないでせうか。親鸞聖人は道徳的には何も悪いことはなさらず私達凡夫からは聖人として讃仰されております。しかし聖人ご自身は深く内観なされて何も善い事は出来ない浅ましい罪深い凡夫であると自ら愚禿(ぐとく)親鸞と云はれました。ここに宗教があるのではないでせうか。

翠風講だより 第86号 昭和47年3月1日発行
正信偈の中に極重悪人唯称仏極重の悪人はただ仏(ぶつ)を称すべし
我亦在彼摂取中我れ亦かの摂取の中に在れども
煩悩障眼雖不見煩悩眼を障えて見ずと雖も
大悲無倦常照我大悲倦きことなく常に我を照らしたもうといえとり御座います。
親鸞聖人ご自身を極重の悪人と言はれ、ただ念仏を称えよ、仏は煩悩だらけの私達人間総て摂め取って捨てないと云ふ誓願を立てられたのでありますが悲しいかな煩悩だらけの私達には分からないだけであります。仏の大慈大悲は常に休む事なく私達を平等に救いの手をさしのべて居られるのであります、ここに気付き体得した時に報恩感謝の日暮らしが出来る様になるのではないでせうか。同じく親鸞聖人の御和讃愚禿悲歎述懐に蛇蝎姧詐(じゃかつかんさ)のこころにて自力修善はかなふまじ如来の回向をたのまでは無慚無ギ(むざんむぎ)にてはてぞせんと御座います。
「自分の心を考えてみると蛇や蝎(さそり)の様な悪かしこく偽ったり騙す実に恐ろしい心を持って居る。それであるから到底善い事などする事が出来る訳がないのであります。それだから如来の回向(自分の力で仏になろうと云ふのでなく一心に念仏する事に依って仏の方より与えられる信心)して下さる念仏にお任せする事をしなかったならば我が身の罪を恥じることを知らずにこの尊い一生を終えてしまうのであろう」と深7い深い信仰を確立された聖人御年八十幾才の時の御作で御座います。この様に聖人は自分自身を深く掘
り下げて自己を知れば知る程如来の大慈大悲の有難さを知り喜びと感謝の御姿になられた事と存じます。

翠風講だより 第87号 昭和47年3月1日発行
道元禅師は自分の力、自分のはからいを以って佛になろうとか悟りを得ようなどとは一度も御示しになって居りません。又一宗一派にかたよる事は極度に斥けられ仏法の総府をもって任ぜられ禅宗とか曹洞宗などと称する事は終生もちいられませんでした。世間ではよく仏教では他力門と自力門に分かれて居り他力門は浄土宗系で自力門は禅宗系と云はれますが、念仏であれお題目であれ、禅宗であれ源は同じ釈尊の教えであります。人々それぞれ各自の因縁に依って信仰の行く道は異なって居りますが同じ道でございます。藤沢市時宗大本山遊行寺の御開祖一遍上人は「自力とか他力というは初門のこと」と仰せになって居ります。