私だけのお経 石井 重夫

「私だけのお経」は A四判の用紙十二枚に 鉛筆で書いたものです。「正法眼蔵、般若心経、法華経…」が 万人の普遍的な遺産であるのに対し、煩悩具足の私だけの「ささやかなお宝」です。 『私は そう受けとめています。皆さんもよ~く考えなされや』『自分が納得 出来ん教えは 信じなくてイイ』『競争の世界 と 安心の世界 をごっちゃにするな』『矛盾を矛盾のままに 受け取れると 安心 出来るんじゃがな~』『誰が決めた? 意義のある人生、意義のない人生』 余語老師が法話の中で おっしゃいました。私にとっては大切な大切な「私だけのお経」です。日々過ごしていく「私の灯明」でもあります。 『安息日は 人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない』『あなたがたの中で、罪のない者が まず この石を投げるがよい』「イエス」からも頂いています。 私の今の心境に合った、私の相性にあった、しかも私の理解出来る、そして私の「安心につながる」表現を様々な出会いから頂いて「私だけのお経」にしています。その数は 現在 七十 あまりです。  『百草頭上無辺春』→ 天地いっぱいのいのちが 「私」という姿に顕れている。『一切衆生悉有仏性』→ 私も「仏性」そのものです。『運水搬柴是神通』→ 水を運び 柴を運ぶ 日々の生活 が 神通力 そのもの。余語老師が教えてくださった これらの「禅語」は いわゆる「金太郎飴」です。何度も聞きました。その度に 確かな安心を頂きました。 『いずれの行も およびがたき身なれば とても地獄は一定 すみかぞかし』『信心 定まるとき 往生 また定まるなり』『本願を信じ念仏まうさば仏になる、そのほかなにの学問かは 往生の要なるべきや』今年六月の翠風講 京都旅行の後「崇泰院」を訪ねました。この地で「歎異抄」が生まれた「親鸞と唯円」の対話がなされ、関東の信者への「親鸞の手紙(末燈抄)」が書かれことを思い、親鸞の教えのありがたさを身近に強く実感しました。 「慈悲、良心、愛、ロゴス」「赦し、情、誇り、ほほ笑み」「円空仏」「棟方志功」の作品、総持寺の「大黒さま」「ニュートラル」「従空背空」「修証一如」「生也全機現」「私だけのお経」では「私の安心」につながれば 大切な一員 になって頂いてます。七十あまりの「お経」の中から その日その時の気分に合わせて 選んでは 、口で心で唱えたり、筆ペンで書いたりしています。そして「安心」を頂いています。 『病や貧しさが不幸なのではない。その時「優しさに」出会えないのが不幸なのだ』『お金がなくては生活出来ない。お金があっても幸せにはなれない』『「ムリな義理は手放そう』→ もちろん「一期一会」の日常生活が 大前提です。「私だけのお経」の始まりは、七年前 身心に大きなピンチ が訪れた 五十九歳の時でした。今後 心境の変化とともに「わたしの安心」のよりどころも移っていくでしょう。その時は、執着せず改訂していきます。 『昼寝も仕事のうちじゃ』→ この「金太郎飴」も私には「安心のお経」です。「南無釈迦牟尼仏」

合掌