私だけのお経 石井重夫

(一)人生のひとこまひとこまは、「無限のいのち」の「有限な姿」である。その「人生」を日々「安心」して過ごせれば、それでイイんですヨ。それが「幸せ」というもの。
その「安心」は「平明な姿」の中にちゃんとある。
その「平明な姿」とは、自分が生活するひとこまひとこまを「ていねいに」生きることに尽きる。
利害得失は、その後にくる景品であり、生活のカスである。

私は長年余語老師の法話・文章に親しみ、「安心」をいただい      てきました。余語老師が語られた「智慧」はたくさんあります。その中から、私の心に強く強く働きかけてくる「智慧」を、私にとってスンナリ受け入れやすい表現で組み合わせてまとめてみたいと思っていました。さらに、「百草頭上無辺春」「運水搬柴是神通」などの禅語を使わないで。三年前に上記のような表現になってきました。壁に掲げて、いつも親しんでいます。名づけて「私だけの安心の経」。あくまで、私だけの表現です。

(二) 「安心の世界」と「競争の世界」をごっちゃにしていませんか?

余語老師が法話で、話されました。「競争の世界」にどっぷり浸ってきた私は、歳をとるとともに「競争の世界」から距離をおきたい、と強く願うようになりました。しかし、残念ながら我が「煩悩」はなかなか言うことを聞きません。また、否応なく「競争」に巻き込まれることも。ツライことです。でも、「競争の世界」から距離を置くよう、意識しています。

(三) 「アタマの世界」から「ナマの世界」へ、「体感」に親しむ。

この表現は、三年前、総持寺の参禅会で、藤田一照師が坐禅について講話された中で、紹介されました。その後、この表現に惹きつけられ頭から離れませんでした。できれば、素朴な「ナマの世界」をたくさん「体感」したいもの、といつも願っています。「非日常」性のひとこま、例えば、好きな「マジックボランティア」で、幼児・小学生・要介護のお年寄りとの「ふれ合い」は「ナマの世界」として「体感」し易いものです。出来れば、「日常」のひとこまひとこまを「素朴なナマの世界」として「体感」出来るようになれたら……、と願っている二〇一二年夏のこの頃です。
私だけの「お経」も始めてから十三年になります。今のいま、私のこころに強く響いていることばを、私だけの「お経」として書きました。心境の変化とともに、また変わっていくことでしょう。

合掌

二〇一二年 夏