日々断片(その四十一) 小松 勝治

『多焦点レンズの記』その一 

新型肺炎のまっただ中令和二年三月二十七日(金)午後八時執刀で白内障の手術を受けた。術後七十七時間・三日と五時間経過で裸眼でよく見える。この原稿は裸眼で目から20㎝ほど離した携帯で入力している。七年ほど前に病院の眼科で視力検査をした時、白内障と言われたが眼鏡をしていれば見えるのでそのままにしていた。その後お茶の師匠や友人知人にすすめられた事や、特約だけ残していた生命保険の担当営業マンに多焦点レンズによる白内障の手術は高額である、それが先進医療保険が対応されるのは三月末でその有効期限がおわる。二月二十日病院で紹介された眼科医を受診三月六日と二十七日片眼づつ手術の予約を入れた。その間妻や娘の意見を参考にし、総臣の小中高校生の休校の指達や通院の電車もこわくなり電話で手術のキャンセルを入れた。とは言うものの悶々と過ごした、眼科は混んでいたのですが片眼だけでもと考えて三月二十五日にキャンセル待ちでもと連絡する。二十六日に説明を受けて二十七日に両眼手術をということになった。片眼手術七分計十四分術後の処置、眼帯ではなくごみよけゴーグルを掛けて田園都市線たまプラーザ駅まで五分ほど妻に手を引かれて歩いた。中村美律子の壷阪情話を思いながら、妻のいわく、お父さんが指を握りしめるのでいたかったと、孫の手を引いて歩く時、指二本をしっかりつかんで離さない気持ちがよくわかった。部屋に掛けてある荻須高徳のパリの壁やアンドリ・ブーリエのマストのリズムどちらもシルクスクリーンの絵が以前よりよく見えるようになった。携帯・パソコン・>新聞・TV・近景・中景・遠景が裸眼でよく見える。傘寿を過ぎて今までごく当たり前に見ていた初代講元の『翆風だより』前講元の『翆風講ニュースレター』現講元のホームページ『翆風講・赤とんぼ』を見れない生活はどうしょうと考えていただけに、今回の白内障の手術は執刀ドクターはもとより私をこの手術に導いて呉れたすべての方々に感謝しながらペンを置きます。 

令和二年四月一日 

『多焦点レンズの記』その二 

三月二十七日白内障の手術を受けて足掛け七ヶ月。術後のケアも終わり、この間、特に感じていることはガス台の青い炎がよく見えるようになったこと室内のほこりが良く見えるようになったこと。朝、最初に読む朝日新聞の『天声人語』『折々のことば』が裸眼で読めるようになったこと。四十年間使っていた眼鏡が不要になったこと。外出時に持っていた眼鏡が不要になったこと。外出時にまぶしいのでサングラスを使おうかなと考えています。今度の総参拝で皆さんのサングラス談議を聞かせていただければ幸いです。

 令和二年八月一五日

『祇園正儀の記』 

永平寺東京別院の臘八大摂心に参加して十年になる。朝5時50分止静・搭袈裟後の坐禅堂での朝課で『祇園正儀』を唱える。新型肺炎の今年この経典にたすけられた。この教典との出会いは開経偈の百千万劫難遭遇に匹敵する経典で俗っぽい云い方をすれば芙蓉山の開祖は云いだしたら誰が何といおうと聞かない一途なところからか清々しい教典でそれだけにコロナの時代これほど強い正しい影響力を与えるかと感動的です。尚この経典は永平寺東京別院の受所で販売しております。権勢におもねず。例えば『ノーベル賞』受賞者には日本でも『文化勲章』を授与するがそれを丁重に断る人がいます。中には永井荷風のように最初は断るが賞金が付くと聞いてちゃっかり『文化勲章』を頂くひともいます。それは余談ですが、芙蓉山の開祖のことわりようは清々しい。『祇園正儀』は十年唱えていてまだ中味が理解出来ないところが多々有ります、今度どなたかに解説して戴こうと考えております。 

令和二年九月四日 

▼『新春総参拝の記』 

皆様ご承知の通り今年の新春総参拝は講元がお山主様・前講元・副講元との日程調整を終えて令和2年3月22日(日)に行う予定で準備万端整えて講員の皆様にご案内を出したところで、新型肺炎の流行により本日時点実施のめどが立たない状況である。今年開催予定の2020年東京オリンピックも2021年(令和三)年七月に延期になった。中国出身の漢方医によれば一月二月は肺に負担がかかる時期で季節的に言えば六月ころの梅雨の前後で大雄山の参詣が少なくて山主様がご都合が良い時が総参拝の時期になるか?。それとも『翆風講ニュースレター四十一号』が発行される前後秋彼岸か、十二月の摂心ご供養の時か余語老師の命日十二月二十一日あたりかと勝手に考えている。総参拝の日程が決まらないというのも難儀なものである。 

令和二年九月五日 

▼『板橋興宗禅師御遷化の記』 

禅師様は七月五日日曜日午後三時四〇分頃に亡くなられお通夜は八日告別式は九日に執り行われました。 總持寺の日曜参禅会に通い始めた頃、後堂老師は余語老師から筒井老師に替わり、単頭老師は板橋興宗老師でした。坐禅を始めたばかりで板橋興宗老師の提唱はよく聴きました。後年妻が在家得度をした時の總持寺管長の板橋禅師様に安名を頂いたいきさつもありお誕生寺の表敬訪問を考えていたがはたせ>ず、今回の告別式で始めてお誕生寺へ行ってきた。往復十時間式一時間は体力的にきつかったがお誕生寺への思いは果すことが出来た。尚鶴見の>総持寺本山の板橋禅師様の本葬は十一月十日午前九時三〇分より、現下の状況を見定めて執り行うとのことです。 

令和二年九月五日