安心のおもむき 平井満夫

我々仏教徒が求める究極の安心(あんじん)とはどの様なものであろうか。余語翠巌老師の御著書の中にこんなくだりがある。『辯道ということは、何かを、何かにつぎ足して行くことではない。一切を放下する風光に住することである。自らの意志の力をも放下することである。本証のもよおす所、とあり、仏の方よりおこなわれてとあるように、尚また「坐禅儀」にあるように、心意識の運転をやめ念想観の測量をやめることである。かくてその風光は、真宗の安心と何か通ずるものを漂わせている。真宗と曹洞宗が日本仏教の両極に位して、外見上は共通点がないようであるが、この両極が一致しているように思われる(註1)』

そこで、浄土真宗の中興の祖といわれる蓮如上人(一四一五―一四九九))の御文章(註2)から代表的なものを拝読する。

『まづ当流の安心(あんじん)のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。ただ.あきなひをもし、奉公をもせよ。猟すなどりをもせよ。かかるあさましき罪業(ざいごう)にのみ朝夕まどいぬる我等ごときのいたづらものを、たすけん、とちかひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり。このうへには、なにとこころえて念仏まうすべきぞなれば、往生は、いまの信力によりて、御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏まうすべきなり。これを当流の安心決定したる信心の行者とはまうすべきなり。あなかしこ、あなかしこ。』
文明三年(一四七一)十二月十八日

この御文章の中に蓮如上人の全思想がこめられている。浄土真宗の開祖親鸞聖人(一一七三―一二六二)の教学は、この御文章に結集されている。上人は乱世に生きる商人、農民、猟師、漁夫など、心ならずも生きるため、人をだまし、生きものを殺すことを職業とする庶民が、念仏によってかならず救われることを教えている。(註3) 世は応仁の乱で麻の如く乱れていた時代のことである。

実は私の家は浄土真宗で、両親も熱心な信者だった。子供の頃、毎夜仏壇の前に座って両親の前で兄弟姉妹が交代でこの御文章をあげさせられたものだが、「門前の小僧」の類で、あまりに身近過ぎて中味を理解しようとはしなかった。殊に、「弥陀如来」というものが何か創作めいた気がして、ぴんと来なかったのである。

後に禅門に入って、余語老師の「天地のいのち」というお言葉をお聞きしてから、ふと「弥陀如来の本願」とは「天地のいのち」のこと、正に仏(ほとけ)のことではないかとの思いに到って分ったような気がしてきた次第。そもそも「天地のいのち」も、この宇宙の根源的なものと言われ、曰く言い難く、捉え難いものではあるが、自然な表現で分かるような気がする。思うに、親鸞聖人から蓮如上人に至る時代、民衆の多くは文盲であったから、「阿弥陀如来」と擬人化した表現の方が一般に分り易かったのであろう。なまじ自然科学を学んだ我々現代人には、この表現は却って分りづらいのではなかろうか。少なくとも私には回り道であった。

さて、老師流にこの御文章を要約すると、「天地のいのちに生かされ、遊ばされている自分の存在に気が付けば、それから後は、有難うございましたと感謝の思いでひたすら念仏を唱えなさい。それが安心の道だ」とでもなろうか。

釈尊は御臨終の際、途方に暮れる弟子達に「自灯明、法灯明」というお言葉を残されたと言われている。結局は自分で道を見つけなさいということであろうか。さはさりながらである。人間は誰かにすがりたい、救って貰いたいと願う弱さが心の中にあると思う。禅宗も浄土真宗も、結局は同じ事が言われているのだが、浄土真宗の言葉には、ぐっと抱きしめて救って頂けるような温かさがあるように感じられる。この辺りの風光を私がとやかく言うよりは、老師に再びお出まし願う方が良さそうである。老師はこう述べておられる。

『私の味わっている仏教というものは、広やかな世界に遊び得ることである。されど人の世にあるかぎり、浮き世のつとめの絶えることはない。その浮き世のつとめが時に間違い、時に喜び、時に悲しむことであっても、それをそのままにゆるやかに受けとって行く。
いつの日か春の落日の中にあつた思いが、いっしか、それはそのままに落ちついている。はかなさも、相すまぬ思いも、ともに自分の個人的恣意であることに気がつき、それはそのままにゆるやかな世界に遊戯することである。煩悩を断じて菩提を得るという。煩悩とは一体何であるか。人々は自らに問うたであろうか。身体あるかぎり、人間はそれを超えることはできぬ。通用語でいえば、迷いながら悟っている。迷いが迷いのままで落ちついている。どうこうしようという自らの思惑をすててお任せすることであろうか。仏の慈悲の手という意味はどんなことか、道徳的な世界に停滞することなく、人を責める思いを脱して、抱きとるというような思いであろうか。
禅門と浄土門の異同を説く人も多いが、異同があってもなくても、所詮は人間のいとなみを超えて、お任せすることであろう。禅門の良寛さんが「南無阿弥陀仏」を唱えておらるるを難ずる人は、この開かれた世界を知らぬ人であろう。人間の哀歓すべてが開かれた世界の荘厳である。かつての日の自分のすがた、それは、おそらく万人のすがたと思われることであるが、それが一つの無駄もなく凡て抱きとられてある世界であることに気がつく。(註1) 』

そう言えば、先年翠風講の旅行会で良寛さんのお墓にお参りしたが、それは禅宗のお寺ではなく、隆泉寺という浄土真宗のお寺にあった。

(平成二十二年一月)