奈良旅行雑感 白川正信

平成六年頃だったと思いますが、家族三人で車で西国三十三番札所を巡った時に奈良に寄りました。法隆寺を見る為でしたが、生憎工事中でした。奈良にはその時二時間程居た程度でした。それ故に今回の旅行が初めてのようなものでした。翠風講の皆様方は既に何度か奈良には行っていると思いますのであまり珍しくないかもしれませんが、私は期待していました。奈良の風向がどのようなものであるか。

奈良は京都とは異なって、ゆったりとした時間が流れているように感じられました。同じ古都なのにこうも時間の流れが違うものかと思いました。この感じは、東京と北秋田市との関係にも似たものでした。都会の喧騒が知らず知らずに自分を急き立てていたのでしょうか。時間に追われ続けた生活でした。

やはり、物を考え、書を読み、坐禅などをする生活をしようとする者にとっては、静かな場所が最適と思われてなりません。古の人が山中に籠ったのも分る気がします。奈良と京都は対極にあると思います。

古色蒼然とした奈良ホテルに二泊し、かような事を思いました。ホテルは良かった。自分の旅ではかようなホテルに泊まるということはまずないです。安いところに泊まって(お寺の坊とか)、その分泊りを増やしていろいろな場所を見てやろうというのが私の旅のスタイル。しかし、ある程度の人数で旅する時はケチらないで楽しいひとときを過ごすのも又良いものであります。加えて、目的を同じくする者同士なら尚更であります。

人生は一期一会、人に対しても、自然に対してもであります。人間も自然も変化し続けています。正に無常でありますが、我々は日常の忙しさに忙殺されて、その変化をジックリと見るユトリがないように思います。変化をジックリと見つめ続けるにはスローライフに身を置くことが最良と思われます。

限りある人生をなんでアクセクする必要があろうかと思うのです。「少欲知足」が禅の第一義ではありませんか。私は今は安い年金生活ですが、仕事をする気は毛頭ありません。禅修行の真似事をしていますが、生ある内に「空」を体得したいと強く念じております。

現役で働いている人々のとっては、今大変な世の中でありますが、現役を退いた私にとっては、田舎暮らしは最高であります。人の多いゴミゴミしたところには行きたくありません。アメリカ発の世界的不景気も、歯止めを失った人間の欲望のなせる業です。

話が横道に逸れてしまいましたが、今回参拝できたお寺、又、参拝できなかったお寺を含め、改めて又いつか行きたいと思います。私は何故か、室生寺と長谷寺に強く心引かれました。健康でありさえすれば、思いはいつか叶えられると思っています。

健康には十分に注意しましょう。注意しても病気になった場合は、これはもういたしかたない事。腹をくくるしかありません。病気になったらなるがよかろうであります。死ぬる時は死ぬがよかろうであります。しかし、現実に自分が病気になったら、かような達観の悟りにはほど遠いものと思われます。まだまだ修行が足りません。

(平成二十一年八月二十三日)