天地根源の姿 風間昭明

余語老師には長い間お世話になり、話も色々と聞かせて頂きましたが、なかなか難しいものでした。老師の著作も十冊以上ありますが、このなかで印象ぶかい言葉があります。「無限」ということと関連した短い言葉をその中から拾い出してみますと
 天地根源の姿        無限者
 天地の命          天地根源の命
 天地法界の命        悉有は仏性なり
 天地の大生命        本当のものの根源
 天地の命の姿        天地本源の命
 天地法界の世界       天地の命という無限のもの
 無はすべての本源      天地本源の命を仏
 本源のものが現れた姿
 天地の命は無限
 天地いっぱいの命を無という 人間の思惑とは関係のない世界がある
 天地のいのちという無限のものが有限のものに現じておる姿がわたくしたち

このような短い言葉が老師の著作にはまだたくさんあります。 無駄のように思えましたが書き出してみました。しかし、大切なことでして老師の人々に伝えたかったことは、この無限の世界―無の世界だったと思います。人間の立場からは離れて、物事を見たり、考える必要があるということでしょう。無限の世界だけに、すべてを知り尽くすことはできない。しかし、難しいが入って行くことはできる。

修行には終わりはないといわれますが、これも「無限の世界」に入って行くからではないでしょうか。この「無限」の世界に入るには坐禅があるということでしょう。「祈る」ということは前記の「天地根源の姿」に対して祈ると考えれば理解しやすいと思います。天地根源の姿といっても、見るわけにもいかないし、見せることもできない。だから難しいのでしょう。少しでも感ずることができればと願っています。

老師の話のなかで、印象に残っているものの中に、次のようなものもあります。
『雨降りの日に人々が集まったときに、挨拶をする人が、「あいにくの雨のなかを」ということがあるが、雨は人間の都合とは無関係に降るのである。人間の都合ばかりから物事を考えないほうが良い』このような話だったと思います 雨も天地根源のすがたです。

浅草、浄土真宗のお寺の生まれである永六輔が書かれているものに「神というのは人間が考えつくりだしたシンボルです。仏というのは、自然そのもので、人間が考えつくったものではありません」この「自然そのもの」というのは「天地根源の姿」のことと考えれば理解しやすいと思います