国宝 松林図屏風 風間昭明

今年の春、東京国立博物館平成館で長谷川等伯特別展があった。ここ数年の間にも等伯展は二、三回あったが、今回は、大規模のもので、その宣伝も大変なものであった。大勢の入館者なので、とてもゆっくりと見ることは出来なった。特に等伯の代表作である「松林図屏風」は大きくゆっくりとは見られない。なにしろ 156.8x356cmのおおきさである。これほど大きな絵は充分距離をあけて見る事が大切である。今回は人が多すぎてそれができない。この絵をゆっくりと充分に見られたのは、数年前に二回ほど見た時である。その時は宣伝が今回に比べたら遥かに小さかった。そのため会場には人が少なく、ゆっくりと長時間みることができた。このように大きい絵はゆっくりとした会場で見るにかぎる。数年前に見た時は、深い感銘があったが、今年はそれが全くなかった。

等伯は能登七尾の生まれで、生家も養家も熱心な日蓮宗の信者だったという。父の影響もあり、早くから絵を描いていたようである。三十歳を過ぎた頃、京都に出た。京都では本法寺(日蓮宗の本山のひとつ)の住職にもお世話なったようである。平成館の展覧会では等伯の殆どの作品と言ってもくらいの点数と聞いているが、ここではなんといっても代表作である「松林図屏風」について書いてみたいと思う。

この絵は等伯の五十歳台の頃で関が原の合戦の前後に描かれたと言われる。またこの絵は一九四七年に土佐から東京国立博物館に入ったといわれる。松林を描いたといっても十数本の松であり、評論家の書いたものによると、松の葉っぱの濃い部分は藁筆(藁を束ねた筆)を使っている。また松林に霧がかかったような感じは、中国の禅僧画家牧谿に学んだと言われている。その影響は大きかったようである。
また下絵―習作ではないかともいわれている。始めは大きかったものの余白の部分を切り取り、上下を切りちぢめたりしたようだともいわれる。が、このようなことは等伯がやったのだろうかと言う人もいる。また紙継が上下にずれている。これは素人が見ても直ぐわかる。

絵は二点あるが、松の木を十数本描いてあり、しかも墨の濃淡だけで空間の奥行きを表現している。この絵の魅力は画面の大きな部分をしめる余白にある。墨の濃淡によって余白を生かしている。余白にものをいわせている。このような余白の中にあるものは、東洋的なものであって、例えば西洋の絵には殆んど見られない。

この絵を人の余りいない会場でゆっくりと見ていると、この余白に引きつけられ、己の存在さえも忘れてしまうほどである。この余白がこの絵の生命のように思われる。無限の世界が広がっている。余語老師の言われる「天地根源の命」が、ここにあると思われる。東洋的といえば、禅の世界にも通ずるものと思われる。俳句の「古池や蛙とびこむ水の音」静かさを打ち破った水の音が消えた後の更に深まる静寂さと同じものと思われる。

その等伯が描いた余白の中にあるものーーこれは仏教の世界である。等伯の生い立ちからいってその体の中には仏教(日蓮宗)が溶け込んでいたと思われる。 仏教には各種の宗派があるが、この絵からみると、それらの宗派は共通の部分(根本的のものー無限の世界)が非常によくでていると思われる。