人間釈迦 平井満夫

戦後間もない頃「人間天皇」という言葉が流行語の一つになった時期があった。戦前、戦中に現人神(あらひとがみ)とされた昭和天皇が新憲法下で象徴天皇となられた頃のことだ。同じ様に釈迦にも「人間釈迦」という目線があってもよいのではないかと私は思うのである。釈迦は礼拝の対象であり、地にひれ伏しておみ足を頂くという存在で、常に一段上から弟子達や群衆に教えを説く姿を想像するのが普通ではなかろうか。私もずっとそうだった。
しかし、初期仏典の研究家、並川考儀教授の著書(註1)には、あとがきにこんなくだりがある。
「仏教はもともと多くのブッダが存在した教団で、開祖とされるゴータマ・ブッダさえも、その中の一人のブッダに過ぎなかったものが、彼の滅後、アーナンダおよびその弟子たちの主導の教団運営によって、唯一のブッダが誕生することになる。当然のこと、ゴータマ・ブッダの晩年二十年以上仕えたアーナンダが法(経)をまとめたということは、言ってみればアーナンダが見た視点からゴータマ・ブッダの教えをまとめたに他ならず、そしてそのアーナンダがブッダの滅後、教団の中核を担い、アーナンダ中心の運営が行なわれたことは、アーナンダの立場から教団組織が構築されていくことが必然であることを意味している。この状況下で、唯一の固有なるブッダが誕生したのである。その結果そのブッダはさらに偉大化される過程で、そのための理論武装とも言うべきさまざまな教理がつくり上げられていくことになる。(中略)
およそ仏教の礎ができ上がるブッダ滅後の百年間こそは、アーナンダやその系統の人々が中心となって、我々が今知ることのできるブッダ像、ひいては仏教の基礎ができ上がった時代なのである。この時代の解明こそが、仏教誕生の謎を解く最も重要な研究と言えるのである。」
史実的には納得出来る説だと思う。釈迦を偉大化し、唯一の固有なるブッダとすることで仏教が広められたということは、仏教が宗教となる必然だったのであろう。多くの涅槃図はその象徴の一つと見ることが出来よう。この過程で中心的役割を果たしたのは、弟子のアーナンダであるというのが並川教授の見方である。キリスト教の始まりに中心的役割を果たしたパウロと対比して想起させられる。但し、パウロの場合はイエスを見たこともなかったし、いわんや直接話を聞いたこともなかったのに対し、アーナンダは釈迦の晩年の約二十年以上直接釈迦に仕えたという違いはある。
釈迦も在世中は何人かのブッダの一人に過ぎなかったとすると、釈迦の教えとして仏典に伝わる釈迦の言葉は、かならずしも釈迦のみの言葉ではなく、釈迦を含む何人かのブッダから発せられたものと考えられる。アーナンダも無論その中に入っていよう。余語老師は提唱(註2)の中で次の様に述べておられる。
「普通は仏教は釈尊の説かれた教えだという。キリスト教はキリストが説かれた教えだとあちこちに書いてあり、そういうふうな説明があると思いますが、そういう一人の人間が言い出した教えなんてあてにならん。そういう教えというものが万人の指標となるためには、キリスト教のキリスト、仏教の釈尊、イスラムのモハメッド、そういう個人の枠をとび越えてしまっているのです。その口を借りて天地の道理が説かれたのだとせねばなりません。だから仏教という教えを釈尊が説かれたのではないのです。釈尊が生れ出ても出なくても変わりない教えを説かれたとせねばならん」
そう言えば、只一人の教祖の宗教にはいかがわしいものが多い。オウム真理教がよい例だ。仏教や、キリスト教、イスラム教など万人の指標となる様な宗教は、時間をかけて多くの人達によって出来上がって来たものなのであろう。しかしながら一方に於いて、仏教なら釈迦、キリスト教ならキリスト、イスラム教ならモハメッドと、一人の教祖を作り上げているのも宗教の特性と言えよう。
それはさておき、最初は何人かのブッダの一人に過ぎなかった釈迦が、修行グループである教団の中で自ずと頭角を現してリーダーになって行く釈迦を想像する。それはやはり並はずれた知力と、高潔な人格、そして王族の出といった下地があったからであろう。この様な釈迦をイメージしたからとて、私の釈迦への敬愛尊崇の念は深まりこそすれ薄れることはない。釈迦を超人間的存在にしてしまうよりは、むしろ親しみがあって、釈迦も我々と同じ様に悩み迷い、その苦しみからの解脱に道を求められた一人の人間としての身近な存在が、私には感じられる。

平成二十四年八月

(註1)並川考儀「ゴータマ・ブッダ考」大蔵出版
(註2)余語翠巖「道はじめより成ず」地湧社