二つの遭遇 古川和子

石田波郷の句に「亡師ひとり老師ひとりや竜の玉」を想起する冬をむかえたが、かつて私の生涯に二つの出逢いがあった。一つは「俳句」、一つは「禪」。

俳句の出逢いは先師・菊池麻風の俳人格。幸いにも私は麻風先生の最晩年の弟子の一人であったが、無念にも先生は出逢いより二年半後八十歳にして長逝。師を失った胸の空洞に思いがけなく賜ったのが「禪」であった。昭和五十七年六月十九日、太宰治の桜桃忌にあたっていた。記録によれば桜桃忌は六月十三日、太宰が三鷹上水に入水自殺の後、十九日に遺体が発見されたので、墓のある三鷹禅林寺で毎年行われる桜桃忌は十九日。若き日に熱愛した作家太宰治の忌日に「禪」との遭遇は、心の深いところで感慨無量であった。

仏教は葬式仏教でしかない当時の私にとって、道元禅師との遭遇は徒ならず、早速に現成公案の巻「仏道をならふといふは自己をならふなり、自己をならふといふは、自己をわするるなり」から始まった。以来仏教が自分の生に深くかかわっていき、それにつれて俳句も人間学の立場から自分の内面をみつめるようになった。その後、俳句を作る俳人ではなく、俳句に生きる一人の人間でありたいとおもうようになった。禪も俳句も私の人生の途上で遭遇した不思議なご縁、今にして思えば生涯の宝。仏教で「知足者富」を知りシンプルな生き方に喜びを見出すことも教えられた。

一方、俳句は世界でもっとも小さい定型から世界を視、読み、創る。作句においては、ことば数が少ないことに秘密があり、言外のものに句の大きさが滲む詩型であることに、非常に魅力を覚えた。より高く、より深く、ただひたすらな一行詩。俳句の道に迷うこの頃、道元禅師の只管打坐の修行に帰れと自分に言い聞かせる年の暮である。