マツジクの世界の常識と社会の常識 石井重夫

マジックを始めて十三年になります.幼児・児童・要介護のお年寄りのグループ・団体への披露がほとんどです。毎年、五十~六十回の出演(三十分~六十分)にめぐまれ、そのたびに、私は心身に大きな喜びと元気をもらいます。

私は見る人によく質問します。そして、「常識を働かせて素直にお答えください。素直にですヨ。」と念を押します。例えば、リンゴとバナナの大きな二枚のカードを怪しげに動かして「どちらがリンゴですか。」とたずねます。間違えてくれたら、私は内心嬉しくなって、 「円満な方ですね。でも、私はマジシャンですヨ。常識には、社会の常識のほかにマジックの世界の常識もあるんですヨ。どちらの常識で答えられましたか。」と。初めは「社会の常識派」が圧倒的です。

二回目からは、「社会の常識」を放棄する人が増えてきます。お互いに、「ウラのウラ」を考えるようになります。常識を使い分けるようになります。ついには、しっちゃかめっちゃかになってきます。何がなんだかわからなくなります。そして、「直感頼り」になります。 「天にお任せ」ということです。とにかく、わからない現象を楽しんでくれます。決して、バカにされたとか、理解出来ないことにガッカリはしません。理解力不足を無意識に認めて楽しんでくれます。ありがたいものです。

マジックには必ず「タネ(仕掛け)」があります。「タネ」をテクニックで見る人にわからないように(つまり、信じられないように)演じているわけです。中には、勝手な推測・誤解をして私を楽しませてくれる人もいます。そんなとき、私は最高の喜びに浸ります。マジックをしていて、「誤解」されるほど嬉しいことはありません。マジックだからです。

しかし、現実の社会では、そういうわけにはいかないこともあるからツライものです。「理解出来ないとき、信じられないとき」、私はつい「誤解に発展させてしまう」ことがあります。そんなとき、余語老師が「九十九%は不合理(わからんこと)。合理的(わかること)は一%」とおしゃっていたことを思い起こします。相手を傷つけるような誤解へと発展させないようにしたいと心がけています。マジックは私にこんなことも考えさせてくれます。