パトリックさんの出家門出を祝う 平井満夫

パトリックさんの出家門出を祝う 平井満夫

我々に近しい坐禅仲間の一人であるアメリカ人パトリック・ハラランさんが一昨年暮れ出家得度され、永平寺東京別院長谷寺(ちょうこくじ)で一年の修行を終え、この程送行されました。これからの出家人生の門出に当たって心からお祝いしたいと思います。

パトリックさんとの最初の出会いは関本の大雄山駅でした。2011年の夏期禅学会に参加するべく菊地さんと待合せていた時に、彼から紹介されました。当時パトリックさんは45歳、トロンボーンの演奏家で、ジャズのプロミュージシャンとのことでした。一緒に上山し禅学会の行に参加しましたが、慣れない行事ながらなんとかついて行こうという彼の真剣な姿が印象的でした。

帰路小田原でビールを飲み、横浜で別れるまでいろんなことを話しました。奥様は日本人とのことで彼自身かなり流暢な日本語でしたが、英語とちゃんぽんの会話でした。私が亡くなった余語翠巌老師の教えについて話したところ、彼はすぐにその特徴を理解して興味を抱いたようでした。当時私は菊地さんのホームページをお借りして、老師の御提唱の英訳を載せ始めていましたが、彼は別れてからもいつも熱心に読んで建設的な感想を寄せてくれ、私は勇気づけられました。

最乗寺にて 2011年夏期禅学会を終えて

左から 菊地、パトリック、平井、小松各氏

彼と初めて会った時の第一印象でこの人は誰かに似ているなと思いましたが、それが誰かはすぐには思い当たりませんでした。が、彼と別れてしばらくしてから思い当たりました。トーマス・カーシュナーという人です。以前NHKテレビ「心の時代」に「人生は荷物が少ない方がよい」という題の番組に出られたアメリカ人の禅僧です。大学生の頃日本にやって来て禅門に入り修行の末、僧になったいきさつを淡々と語る体験談が印象に残りました。醸し出される雰囲気が二人にとても共通するところがあると思い、ビデオのディスクをパトリックさんに送ったことがありました。彼は大変喜んでカーシュナーさんに会いに行きたいとまで言っていました。

2012年に彼は山梨県北斗市の八ヶ岳山麓に家を建て奥様と二人暮らしを始めました。トロンボーンの演奏家としての仕事はどうやら辞めたようでした。2013年の秋でしたが、私は蓼科でのゴルフの帰り道に小淵沢で途中下車して彼の新居に泊めて貰いました。森に囲まれた山小屋風の清楚な家でした。この地を選んだのは一つには奥様のお里甲府に近いからだと聞きました。奥様の手料理を楽しみながら秋の夜長を彼と語り合いました。実はこの時私は老師の御提唱をワンポイントレッスンの形でまとめて英語の本にする計画を思いつきました。

その後この構想を進め、英語らしい表現について彼の助言を求めたところ、快く引受けてくれてメールでのやりとりが続きました。2015年の春に私はこの原稿を「One-Point Lessons from Zen Master Suigan Yogo」として自費出版しました。彼は前書きに推薦の言葉を書いてくれました。無名の私がこんな英語の本を出したところで、日本で読んでくれる人は殆ど期待出来ません。元々海外の読者を対象にしているにも拘らず海外の出版社が取り上げてくれるあてもない。そんな状態が続いていましたが、チャンスがあるとすればアマゾン社しかないと思い、アメリカのAmazon.comにトライしてみたところ、幸いにもペーパーバック(紙の本)として定価十四ドルで発売の運びとなりました。ネットでアマゾンのページから注文すると、アマゾン・アメリカで印刷された本がアマゾンのネットワークを通じて殆ど世界中の読者に届く仕組みです。読まれるか読まれないかは別として、ともかくこれで余語老師の教えを世界中の人々に英語で読んで貰える仕組みだけは出来上がった訳です。

さて彼の話に戻ります。彼は長谷寺での修行中に「参禅の道」という雑誌(平成二十八年九月号)に「私は坐禅が好き」と題して手記を書いています。私はこの雑誌を小松さんから頂きましたが、以下に彼の出家までの経緯を抜粋転記します。

「2009年、私の人生が転回して、坐禅が再び私にとって重要となりました。私は毎日坐禅を行い、定期的に長谷寺の参禅会や接心に参加して、それは2012年に私と妻が山梨県に引っ越した後も続きました。出家得度をして、ある期間専門僧堂に身を置くという考えに私は駆られました。そこで私はお袈裟を縫う会でお世話になりました観音院の住職であります来馬正行老師にご相談をしましたところ、私にとって長谷寺専門僧堂で修行するのが一番良いという結論に至りました。また来馬老師には、後に私の出家得度を行う受業師となります秋葉玄吾老師を紹介いただきました。

秋葉玄吾老師はアメリカ合衆国に長く滞在され、現在カリフォルニア州オークランド市の中心部にあります小さな日本式のお寺、好人庵の住職であります。秋葉老師はまた、現在北カリフォルニアで建設中であり、完成後には海外で初めての宗立専門僧堂となります天平山禅堂の総責任者でもあります。私は秋葉老師と何度かお会いして、私の日本のお寺での修行受け入れ先について相談しました。秋葉老師は忙しいスケジュールにもかかわらず、オークランド市にあります奸人庵で得度を行うことに承諾してもらいました。そして2015年12月26日に私と妻は飛行機に乗り、カリフォルニアヘ向かいました。

好人庵は小さいながらも、美しい禅堂であり、秋葉老師とオークランド市にある有名ジャズクラブのオーナーである奥様の好さんが住んでいる自宅に隣接しています。夫妻は私たちが滞在している問、幸いなことに私たちを自宅に泊めてくれました。秋葉老師により英語と日本語で執り行われた得度式には、好人庵の何人かのメンバーたちが参列し、また会って話が出来たことを大変うれしく思いました。

私たちはカリフォルニア滞在中に、天平山禅堂の建設現場に行くことを決めました。まだ僧堂の骨組みが出来上がった初期段階ですが、プロジェクトの全体像を感じ取ることが出来ました。静かで平和的な環境は専門僧堂にとって、まさに理想の環境として私の心を打ちました。日本に戻ってから、すぐに私は長谷寺僧堂に入るための準備を始めました。必要な準備物のリストは詳細にわたり、上山当日に必要のない物は事前に送ります。私の上山日は三月初旬まで決まりませんでしたが、すでに一月には、私はかつてない最大の決心に伴う神経質な期待を感じ始めました。

私は妻とごく親しい友人と家族に、どうしてこれから一年もしくはそれ以上、会うことも、電話で話すことも出来ないのかを説明して別れを告げました。三月二十四日に私は東京行きの電車に乗り、上山の前日には長谷寺の近くに部屋を借りました。幸いなことに、秋葉老師はその時東京にいたので、お会いして上山直前のアドバイスをいただきました」

修行中に彼はどんな事を学んだのでしょう。彼は手記の中でこう記しています。

「私は最近日本を訪れた外国人からここで何を学んだのかを尋ねられました。私は自分自身について、そして自分のやり方で物事を行う事、つまり自己中心的な生き方にいかに固執していたかを学びましたと、何の躊躇いもなく答えます。私は、また自己不信に陥った時でも、自信を持って行動することを学びました。私は不確かな事に対して安心していられることを学びました。私は自身の失敗にも価値があり、私の最高の教師であることを学びました」

なんと爽やかな境地でしょう。送行の後、彼は東京に来た折に私を訪ねてくれました。もうすっかりお坊さんの姿になっていました。ハララン・楽禅さんです。あのアメリカ人の禅僧トーマス・カーシュナーさんに益々似てきたように感じ、その事を話したら彼は笑っていました。カーシュナーさんにはまだ会ってはいないようです。

彼はこれから日本とアメリカを行ったり来たりの生活になるそうです。そして多くのアメリカの人、日本の人、いや世界の人を禅の道に導いてくれることでしょう。充実した人生を祈っています。

(平成二十九年六月)