偏界不曽蔵 余語 翠巖

神様の御前に詣でて、至心に拝むとき、私共の心は清らかになる。

いろいろな願い事はしばらく思わずに、ともかく至心に素直に拝むことである。

その時におのずと心の窓が開けるのである。

心の窓が開けたありようは、私共のまわりが今までのすがたでないよそおいを示してくれることである。

心の窓が開かない時は、まわりが苦渋に満ちた色合いを見せていたのが、心開けた時に、生々とした明るさに包まれていることに気付くのである。

心の窓を開いて、いつもその明るさに包まれている時、まわりの一木一草が幸を語りかけてくれる。

これはいつでも、どこでもだれにでも授かる幸であり、御利益である。

「大雄」誌 1989年 新緑号より