雨過ぎて四山低し 余語 翠巖

道元さまのの御説法の中に、「雲収りて山骨露れ、雨過ぎて四山低し」と示されてある。漠々たる雨雲の垂れこめている時には、山のすがたも定かではないが、雲がはれ上って見ると、山肌がくっきりと見える。同じように雨しとど降っている時は、まわりの山々の高低もよく見えないが、雨が過ぎて見ると四方の山々もあまり高い山でなかったことがわかる。

達摩さまから四代目の道信さまも「いろいろの束縛にしばられて苦労しております、どうかほどいて頂きたい」と三祖僧燦(そうけつ)さまにお願いする。三祖さま示して云く、「誰が縛ったのか」と。道信さまは「よく考えて見ると、自分で縛っておりました」と。

お互様もよく似たことがあるわけである。既成のものに、いろいろの教自体にしばられて自由の分なきことを思う。ほどけて見ると道元さまのお示しのように四辺明々たることに気がつく。

(「大雄」誌 1990年 錦繡号より)