随流去  余語 翠巌

雨の日も、晴れの日も、天地のすがたは、よどみなく流れて行く。雨の日には何か催し事の日の挨拶に「生憎の雨」などと云うことがある。人情の上に於て至極あたり前ではあるが、天地のすがたに於て「生憎」などはないわけである。

成住壊空などと云われる。ものが出来て、そのすがたを持続して、やがて壊れて、何もない状態が生じて、と云うすがたをとるものだと云う。物をつくる番にあたる人もあれば、物がこわれるにあたる人もあるわけである。つくった人はほめられ、こわれる時に逢うた人はほめられはしない。

いろいろの番にあたることである。花は咲く実相、花は散る実相、すべて佛の光明の中の出来事である。人は時に眼をあげて、この光明のかがやきに気付きたいものと思う。