信仰とは簡単に言えば、お互に相手を信じ尊敬しあうことである。人生において、これ
ほど大切で重大な意義をもつものは外にはなかろう。家庭や杜会においても、お互に相
手の心の中にある仏を拝むということである。そこからおのずと感謝する気持が芽生え
てくるはずである。信じあい、尊敬しあい、感謝しあう姿は、信仰をもつものの最高の
美しさということができる。

最近、著しい世相の乱れから、青少年の非行が取り沙汰されて、良識あるものの心を痛
めていることは、まことに残念というか、情ないことである。高度の経済成長は生活を
豊かにし、教育技術の向上によって高度の文化を築きあげた。しかし、それほどの能力
をもつ人間であっても、決して完全とはいいきれない。完全ではないその人間が作リあ
げるものであるから、欠点はいくらでもある。欠点があるからこそ、さらに向上のため
の努力がなけれぱならないし、それをはぐくむものに対する感謝の念が失われてはなら
ないと考えるのである。

感謝の心を忘れて学窓を去る若者の、これから送る人生の空しさを考えるとたまらなく
悲しい。自己中心の人間に本当の幸福が得られようか。小さな欠点を捜し出して、それ
を拡大してみようとする心で、良い家庭や杜会が生まれてくるはずがない。愛情も根性
も感謝もないのでは、人間らしい生活は出来ぬと、仏さまは教えている。

(1986年 雑誌「大雄」 新緑号 巻頭言)