「歴吏は自らを繰り返す」というよく知られた言葉を思う。いつの時代でも、その時代を危機感をもって受けとる人々と、そうでない人々があるようである。仏教と云われる時、それが仏教の真理を意味する場合と、現実の教団を意味する場合、又は両者をひっくるめての場合とがあるように思われる。

現代は、仏教教団の堕落衰退を論ずる言説が多いようであるが、仏教の真理が間違いなき道理であるが故に、教団の盛衰に関係なく、極端に云えば、仏教の名を冠せずとも存在し続けるものである。かく思えば、現今の仏教、更には仏教教団のあり方を危機的に受けとる行き方を私はとらない。自らつくりあげた寸法で他を量るが故に、そこに是非を生ずる。自ら寸法をつくりあげること自体、世の中を窮屈にすることである。

「唯揀択(ただ、けんじゃく)を嫌う」と云う言葉がある。よりごのみをするなと云うのである。これが真の慈悲というものであり、凡てをいとおしく見て行ける立場になる。凡てをいとおしく見る立場を忘れることなく、凡ての言説がありたいものである。

(昭和51年1月)  余語翆巌著「去来のまま」より