翠風講

寄稿文集 平井満夫
死んだら何処へ 平井満夫|翠風講ニュースレター第23号 平成23年(2011)9月発行

死んだら何処へ 平井満夫 今年の翠風講の総会、話し合い法座でこんな興味深いやりとりがあった。「先日、あるお葬式で納棺の儀を終えたところで孫から『人は死んだら何処へ行くの?』と聞かれ『新しい旅立ちなのよ』と答えたものの、実 […]

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寄稿文集 平井満夫
安心(あんじん)の境地を求めるのが仏教|安心の道 平井満夫|翠風講ニュースレター第44号 令和4年(2022)1月発行 

安心の道 平井満夫 幸せを願う祈り。何が幸せかは人それぞれに異なるが、人間誰しも幸せを願うのは自然の姿である。その願いが叶えられるとは必ずしも限らない。たとえ願いが叶わなくても心が安らかであるにはどうすればよいか。 安心 […]

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禅の道 藤田彦三郎
仏法を行ずるに品を選ぶべきにあらず|禅の道 藤田彦三郎|翠風だより 第171号 昭和48年(1973)5月発行

仏法を行ずるに品を選ぶべきにあらず|禅の道 藤田彦三郎 手足あり。合唱行歩にかけたる事あるべからず。仏法を行ずるに品を選ぶべきにあらず。人界の生は皆是れ器量なり。余の畜生等の性にては叶ふべからず。学道の人はただ明日を期す […]

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禅の道 藤田彦三郎
末世について 禅の道 藤田彦三郎|翠風だより第37号 昭和46年(1971)7月発行

禅の道 藤田彦三郎 末世に就いて御説明致します。 末世とは末法の世と云ふ事で釈迦が入滅されてから数えて千年(或は五百年と云ふ人もあります)を正法の時代と云い 次の千年を像法の時代と云い その両時代を過ぎた後の一万年を末法 […]

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禅の道 藤田彦三郎
生きて居る只今の極楽が分かれば、死んでからの極楽も解決出来る|禅の道 藤田彦三| 翠風だより第37号 昭和46年(1971)7月発行

禅の道 藤田彦三 生きて居る只今の極楽が分かれば死んでからの極楽も解決出来るかと思はれます。逆に死の問題が解決されれば生きて居る問題も解決されるかと存じます。 お互い吾々は生きて居る間一生懸命働き親子、夫婦、兄弟等が一緒 […]

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