久しぶりに翠風講の旅行会をしてみてはという話しが持ち上がり、嘗て大雄山で紀綱をしておられた山田富三老師がお山を去られて久しいので、一度御自坊にお訪ねしてみてはというアイデアが出てきました。修善寺の天桂寺に電話してみたところ、意外にも山田老師は最近またお山の紀綱としてカムバックされたとのことでした。しかし、六月四日(火)は自坊にいるからどうぞという御返事を頂き、それではと修善寺一泊の旅行会を企画しました。翠風講の旅行会としては四年ぶりとなり、十一名の参加がありました。

梅雨入りしたというのに、当日は五月晴れのようにさわやかな日和でした。午前十一時半JR三島駅南口に集合、伊豆箱根鉄道駿豆線で終点の修善寺駅着、駅前のそば屋で昼食をしたため、目指す天桂寺に向かいました。駅から山の方に歩いて約十分、小高い山を背にした本堂前に午後二時きっかりに到着しました。

山田老師御夫妻がお待ちかねで、温かいお迎えを受けました。ご挨拶もそこそこに、早速客間に案内されました。純和風の落ち着いたお部屋です。広縁からの涼風がなんとも心地よいものでした。くつろぐ間もなく山田老師から御法話を頂きました。この寺の由来からはじまり、自らの人生経験をよどみない口調でお話しになりました。

老師は昭和四十年(一九六五)に大雄山に入山され、約四十年の安居を経て御自坊の天桂寺に戻ってこられました。大雄山では昭和五十二年に余語翠厳老師が山主になられました。以後老師は典座、更には紀綱を命じられ、夫々の役を立派に全うされたのですが、配役の際にどの様ないきさつで、またどの様な御決心で引受けられたのかを話されました。また、三門の建設では紀綱として一切を取り仕切られた訳ですが、その際のご苦労話も興味あるものでした。

まだまだお話しをお聞きしたかったのですが、時刻も午後四時を過ぎてしまったのでお開き願い、本堂で一同般若心経を読経、老師御夫妻と記念写真(次ページ)を撮って、名残を惜しみつつ寺を辞しました。

午後五時旅館「桂川」に到着。一同は各部屋の落ち着き、入浴、夕食でくつろぎました。先刻の山田老師からお聞きしたことですが、修善寺は伊豆の京都に擬せられて、山には嵐山があり、川には桂川、修善寺の前にかかる橋は渡月橋となっているとのこと。旅館「桂川」は文字通り桂川のほとり、緑の木々に囲まれた静かで清潔な宿でした。すぐ隣にはロシヤ正教の聖ハリスト教会の旧い建物が林の中にひっそりと佇んでいました。この辺りには江戸時代にキリシタンの集落があったそうですし、その伝統は現在に至っているそうです。

午後八時から約二時間控室で翠風講恒例の「話し合い法座」が開かれ、みんなで語り合い懇親のひとときを持ちました。共通の楽しみを分かち合う人々の集まりを「座」とするならば、翠風講の「話し合い法座」は、宗教の風光を慕って等閑(なおざり)に集う人々の座とでも申しましょうか。とりとめのない話しではあっても、それはそれで楽しいものでした。

翌六月五日も気持ちよく晴れ上がりました。午前九時半旅館を出発、歩いて修善寺に向かいました。ここは曹洞宗のお寺です。偶然にも受付のお坊様が、以前総持寺の参禅会のメンバーで旧知の柴崎様と分かり、お寺の特別のご好意で、内部を案内して頂きました。本堂では柴崎様御先導のもと一同般若心経を読経させて頂き、坐禅堂に続いて庭園を拝見させて頂きました。前方の山から流れ落ちる渓流を受けた池には鯉が悠々と泳いでおり、折からの新緑と満開のさつきの花に彩られてそれはそれは見事なお庭で、一同感嘆の声をあげて、しばし見とれておりました。

修善寺の後、駅に戻り電車で伊豆長岡に行きました。ここで軽食の後、願成就院に向かいました。ここでは、このお寺の秘宝で最近国宝に指定された運慶作の仏像を拝観するつもりでしたが、残念ながらこの日は休館日で、拝観は叶いませんでした。しかし、北條政子が生まれ育ったといわれるこの辺り、小さな山を背にしたお寺の静かなたたずまいもまたよいものでした。

伊豆長岡駅から再び電車で三島に戻り、別れる前にせめてお茶でもと、駅前の不二家で一同休息。名残りを惜しみつつここで解散致しました。

参加者 (順不同、敬称略)

高橋勝、鈴木茂善、田代薫、室伏マサ子、古川和子、津田雄一、星一二、菊地豊、小松勝治、平井満夫