日々断片 愚勝道

晩春・初夏は行事が多くて、毎朝の三分間座禅と般若心経の読経が 『今・ここ・自己』を確認できる時であり、一日のすべてがそこから始まっているという、実感を継続 中です。 これは元を正せば、『翠風だより』16号(平成7年石井さん編集)の『三 社様』(高橋副講元さん著)と『翠風講』ニュースレター2号(平成13年1月平井さん編集)の『一分間座禅』(高橋副講元さん著)に触発されること多です。

翠風講の仲間には日々の生活習慣によい影響を与えて頂き感謝することが多くありがたいことです。『等閑に集う』中から自然発生的によいものが行動に移されて行くように 思われます。

話は変わりますが田舎の自宅の掛け軸に

渾身功徳聚  こんしんくどくしゅう

端坐浄蓮臺  たんざじょうれんだい

手裏摩尼寳  しゅりまにほう

應縁雨聖財  おおえんうせいざい

と読むのでしょうか大正十三年六月 総持石禅拝賛というのが有りますこれは私が生まれる前からお盆や法事の床の間に掛けられたもので半切より大き目の絹に蓮華の上に端坐した美しい観世音菩薩像の軸に賛されたもので、表具は帯地を使い共布で、座布団も作って在りました。東北の泉流寺と言うお寺で受戒があり、総持寺の禅師様が戒師様としてお出でになられた時に当時四十八歳の祖父が賛をお願いして出来上がった軸のようです。子供のころは賛の意味も不明のまま、美しい観音様に手を合わせておりました。後年安孫子さんが板橋禅師様より出家得度式をあげて頂いた時に総持寺の侍局で総持石禅書という扁額があり懐かしい書体との出会いでした。 それ以降賛の意味が気になりだして自己流に解釈してみました。大意は渾身をもって大聚に功徳を施す
浄らかな蓮の華の上に端坐して手には特効薬・万能薬をしのばせて縁に応じて聖の財産を雨の如く授けよう

勝手に欲張りに訳して見ました、旅行の時に御前様にこの写真をお見せして意味をお聞き したのですが、ただ黙っておられました。何でもすぐに答えれば良いというものではないということのお示しでしょうか。

小雨の七夕の夕暮れ時に

平成十五年七月七日      小松 勝治