日々断片 愚勝道

鶴見の総持寺で坐禅を始めて今年で三十年になる。 私がなぜ禅の道に入ったかは定かでない。子供のころからお寺さんとのお付き合いが多かったようです。そのへんのところを思い起こしてみました。

私が郷里の東北で物心がついたころの家族は十五人前後でした。十五人と断定できないのは父と二人の叔父は出征し東京に嫁いだ叔母と従兄弟は実家に疎開していた、そのために何名と断定しがたいのです。言えることは成人男子は明治十一年生まれの祖父と女性と子供だけでした。

日々の生活は神棚と仏壇に仏飯やお水等をお供えして、灯明、線香を灯し、父や叔父の無事帰還を神や仏に祈る事から朝が始まりました。年間行事は新年の「初月忌」から始まり十二月の「ざんぜん」に至るまで神事、仏事に関わることが多かった。神事と言えば郷里には神社仏閣が多く、関係ある神社のお祭りには床の間に関係する掛け軸をかけ、その神社にお参りをしておふだを頂き、家族十五人揃って飯台につきお神酒を頂きご馳走を頂くと言ったようなことでした。

仏事は毎朝のお参りは先に紹介した通りで月毎は一番新しい仏様の命日に菩提寺の住職が来てお経を上げていかれました。これは今も続いております。特に一月は「初月忌」と言って昭和二十年代は十四日がその日で夕方四時頃お坊さんが四、五人来宅し法要のあと二の膳つき朱塗りのお膳で接待したものです、お坊さんの中に一人夜間高校に通学している若いお坊さんがいて、宴半ばで中座されるのが残念でした。私達子供は彼を一休さんに見立ててトンチ問答で遊んだものです。

さて春秋のお彼岸、念仏講、お盆のお墓参りは割愛して十二月八日の「ざんぜん」のことを書きます、この日は菩提寺に夕方祖母と兄弟が揃ってでかけました。お寺には駄菓子屋が出張販売に来ており子供たちは小銭を握り締めてこのお店で買い物をするのが楽しみの一つでした。お寺の座敷には地獄絵図がかけてあり、幻灯を使った法話もありました。お寺のこの集いを何故「ざんぜん」と言うのか不明です、「坐禅」のなまったものなのか、「成道会」のことなのか今度帰省した時に菩提寺の住職さんに聞いてみようと思います。三つ児の魂百までもと言いますが、お寺とのお付き合いは何のわだかまりも無く自然に日々の行いが身について現在の自己につながったようです。

社会人になってからは、昭和四十年代には「木曜参禅会」という同好会があり渋谷の永平寺別院長谷寺で始めてお坊さんのご指導を得て坐りました。何れにしても生まれてこの方お寺を中心にして勝友・正師に恵まれました。正法眼蔵隋聞記でいう「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる」大意は「すぐれた人に親しんでいると、気がつかないうちに、自分もすぐれたひとになる」と思われます。昨年に引き続き今年も長谷寺の摂心(二月四日~九日)に参加しようかなと考えております。

平成十五癸未歳睦月十四日  暁天坐禅後