御垂示 道元禅師の初説法 余語 翠巌

  この観音導利興聖宝林寺という寺(深草にあった興聖寺、現在は宝塔寺になっている)は、中国から帰られた道元禅師が天福元年(1233)に開創された日本最初の宗門寺院、即ち曹洞宗の修行道場です。いまでも宇治に興聖寺というお寺があります(これは禅師没後江戸時代初期に建てられたもの)。この寺での最初の説法が素晴らしい説法です。それは「永平広録」という本の一番はじめに出ています。

 山僧叢林を歴(ふ)ること多からず、只是れ等閑に天童先師に見(まみ)え、直下にほ眼横鼻直なること認得して人に瞞ぜられず、便乃空手還郷所以に一毫無仏法任運に且く時を延ぶ。朝朝日は東より出て夜夜月は西に沈む、雲収りて山骨露れ雨過ぎて四山低し、畢竟如何良久して云く、三年一閏に逢い鶏は五更に向って啼く。

 自分は叢林を歴ること多からず、そうあちこちの修行道場に行ったわけではない。等閑というのは構えて計画を持ってというのではなく、自然のままに天童禅師に見え、すなわちお目にかかることができた。直下に眼横鼻直なることを認得して空手還郷、すなわちお土産を持たずに帰ってきたというわけです。故に一毫の仏法無し、一筋ほどの仏法もないのだというのです。実に面白いですね。眼横鼻直なることというのですから、目が横に、鼻が縦についていることに気がついたというのです。それがまともな話でしょう。人間の顔はその通りなのです。また毎朝、日は東に出て、月は夜になれば西に沈む。それは毎日のことです。雲収まりて山骨露れる、雨が降って全山が雲に覆われると、何も見えないでしょう。ところが雲がはれてしまうと山の形がちゃんとわかってくる。雨過ぎて四山低し。雲が過ぎて山の姿が見えると、あんな低い山かということになる。それが当たり前の姿です。みんな霧のかかった状態のものを見てそれをもとに考えているから、普通の姿がわからんだけのことじゃ。過ぎてしまうとその通りのことです。

 畢竟如何、それではどうなっているかというと、鶏は五更に向って啼く、明け方になると鶏が鳴くというのです。この頃は早朝に鶏が鳴くと安眠妨害じゃという人がいるんだから面白い。三年一閏に逢うというのは、三年たてばその次の年は閏年がくるというのです。実に平々凡々たる姿です。それがほんとうの一毫の仏法も無しなのです。仏法云々などと言っているのがだいたい下の下なのです。ほんとうはなにもいらんのじや。

 このようにごくごく自然の姿の中における典座和尚というものの姿が出てくるわけです。典座和尚という役目、お勝手をして衆僧の食事を司る、料理をする、そのことが自分の正念場だということがわかるということで、『典座教訓』を示されたと書いてあります。

(1993年1月)余語翠巌著「いたるところ道なり 『典座教訓』講話」地湧社 序文より抜粋